学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

事大主義

教員研修を担当した自治体から、礼状が届いた。中身はひな形通りで事務的なものだが、封筒に手書きされた私の名前の漢字が間違っている。まあ書き損なうこともあるわなあ、気にならない。

そういえば、研修や講演先で、司会から「さかきばら さだひろ先生です」と紹介されることがある。タイミングが合えば「よしひろ です(^^;)」と口を挟むのだけれど、まあどっちでもいい。「京都大学 教育学部の」と伝えられることもある。こちらには、研修が始まってから「京都大学にも教育学部はありますが、京都教育大学の榊原です」と自分で言い直す。進行役の人はすっかり赤面だが、まあ大したこっちゃない。受講者やオーディエンスが、講師はどこの人かなんて覚えているとも思わへんし。

ある中学校への訪問に先立って、職員向けニュースで複数回にわたり、「京都大学から榊原禎宏教授が見えます」と書かれていたこともある。ちゃうちゃう、ワシは分析的・批判的な教員が育ってくれることを喜びにしているから、京都教育大学でなかったらあかんねん。これも校長にやんわりと、「ちゃうんですけど」って言って終わったぞ。

と、決して「ええかっこしい」やなくて、そんなもんやろと思っている人なので、どこぞの校長がある文書について、「自分の名前が間違っていた。だれがチェックしてるんだ」と憤慨した、という噂話を聞くと(私が書いたんとはちゃいますよ。念のため)、失礼ながら「暇やなあ」「ちっこいなあ」って思ってしまう。ええやんそんなこと、どっちでも。

「あんぽんたん」とでも書いてあったら別やけど、間違いに悪意がうかがわれへんねんやったら、そのまま流したらええやん。そんなことに拘って気分を害するだけ、疲れて損やし、周りも暗く、しんどなるし(校内で校長に「待った」をかけられる人はなかなかいいひんよ)、もったいないことこの上ない。短い人生、もっと大事なことに時間つかいいなあ、って言ってあげたくなる(でも、その人には大事なことなんやろね)。

何よりも、そんなことでいちいち大騒ぎする校長なんや、って安物に見られるのは避けたい、ってなんで考えへんのが不思議や。どんと構えてたらええやん、ってワシは思うんやけどなあ。そんなんで、冷静な判断とかできるんやろか、校長として。

大学教員仲間で以前、喋ったことがあった。既存のルールや秩序に馴染んで、それを擁護する立場に付きたい人は、小・中・高校の教員になり、それに「なんでやねん」と疑問や不満を抱く人は、大学教員になるって。もちろん、みんながみんなやあらへんけど、当たってることもあるなあ、って改めて思わされたわ。

文字なんて人間の作ったたまたまのもん、そんなもんに縛られて、どないして自主的な人間を育てる、なんて言えるんやろ。ほんま変やな、ガッコのセンセて。笑いがないもんなあ。笑い飛ばす元気がないんかもしれん。
[PR]
by walk41 | 2013-05-29 18:49 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
<< 「同窓会」とのつきあい方 「いい子」の対応 >>



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
非言語に見られる自己認知と自..
at 2017-08-23 11:41
お店の名前
at 2017-08-22 09:11
地毛は大切?
at 2017-08-21 10:30
「言い切れる正しさ」
at 2017-08-21 09:34
「子どもらしさ」と感情の表出
at 2017-08-19 16:13
人一倍
at 2017-08-18 12:45
Platoon
at 2017-08-16 23:25
〜しか〜ない
at 2017-08-15 19:34
7月4日に生まれて
at 2017-08-14 22:54
耐えられる能力
at 2017-08-13 16:29
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧