学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

「勉強の姿勢」

文書訓告:児童を床に座らせ授業 鳴沢村教委、教諭に処分 /山梨

毎日新聞 2013年04月17日 地方版(一部改変)
 鳴沢村立鳴沢小に勤務していた30代男性教諭が昨年5月ごろ、児童1人を床に座らせて授業を受けさせたとして、鳴沢村教委が文書訓告処分としていたことが16日までに分かった。同校長も厳重注意とした。処分は昨年7月20日付。
 同小校長によると、教諭は当時3年生の担任で、男子児童に「姿勢が悪い」と授業中に何度も注意。態度を改めなかったとして、椅子を取り上げて床に座らせて授業をした。こうした行為は3日間にわたり、複数回あった。同6月に児童の保護者が学校側に指摘して発覚。学校側の聞き取りに対し、教諭は「行きすぎた指導だった。申し訳ない」と話したという。教諭は担任を外れ、今年度から村外の小学校に異動した。【屋代尚則】
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みなさんはいかが思われるだろうか。「姿勢は心の現れ、『正しい』姿勢でなければ」と考えるだろうか。それとも、「姿勢と学ぶこととは直接対応しないから、周りが著しく不快でない限りは気にしない」という立場に近いだろうか。

いずれの見方であれ、「姿勢を『正しく』したら、学習効果が上がる」という論理にはならない。姿勢と学力との間に相関があるかどうかはわからず、仮にあったとしても因果関係まで説明できる訳ではないからだ。「心の乱れは服装の乱れ」と、仮に説明ができたとしても、「服装を改めたら心が改まる」かどうかは定かでない。「いいえ、そうなんです」と言う人は、信仰の世界に入っているのだ。

姿勢が気になるのは、教員じしんの「気にしい」のせい、「こうなければいけない」と自分が拘っていることの現れと見るべきだろう。つづめれば、「わたしは嫌い」なのだ。そんなん知らんやん、って言いたい子もいるのでは。

ところ変わってドイツでは、写真のようなイメージが強いかな。自由奔放に過ぎるとの意見もきっとあるだろうけれど、学習効果の点では何が違ってくるかわからないから、それでもいいように思う。

とまれ、教育-学習活動の最前線で瞬時になされがちな意思決定だからこそ、「なぜ気になるのか」「どんな選択肢があるのか」と即、自問できる教員の能力がより求められるだろう。「教えること」にばかり熱心にならず、自分の癖、好み、行動パターンなどを多様に分析できる能力が、先立つのである。

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Stuttgarter Zeitung 2013.2.4 より
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by walk41 | 2013-06-02 11:36 | 学校教育のあれこれ | Comments(4)
Commented by ポッピーママ at 2013-06-02 17:55 x
榊原先生、こんにちは。
私は、授業始めと終わりのあいさつのとき、結構姿勢を気にするよう言います。だた、言ったからといってすぐにどうなるとも思っていないので、ある種、「この人はこういうところを見ているのだな。」ということを伝えることだけですね。
アルファベットの件の先生は、アルファベットの正しい書き方や形にこだわっているのではなくて、自分が「こうしなさい」と指導したことに対して、どれだけ忠実にやろうとするかを見極めて、点数ではできないような評価、順位づけをしたいのだと思います。
中学校勤務の経験のある人が同様に言うのは、次のようなことです。
「中学校の先生は、ホントに自分のことしか考えない。」「週何時間持つか、空き時間は何時間あるか、が最大の関心事で、学年や同じ教科担当の教師集団で共同して物事にあたるということはない。」
時々、卒業生の引継ぎで中学校教師と話す機会があると、子どもへのまなざしがあまりにも違いすぎて、びっくりすることがあります。
Commented by walk41 at 2013-06-02 20:57
ポッピーママさん、コメントをありがとうございます。そちらでは桜を堪能されていることでしょうか。

さて、教員のセンスについて、『人間関係を築く力、人間集団の力学を感じ取り操作する力、自己表現力、無形のものを嗅ぎ取り感じ取り伝える力、そして、自律的学習能力』と定式化いただいたので、反芻しています。

このことと繋がるかも知れませんが、教える立場であることをより相対化できるのも、センスに含まれるべきと思うのです。学ばない人は、自分のいま知っている世界を絶対視しがちで、メタ的視点に欠けると言えるでしょう。自分に与えられた権限を、生徒の忠実度を測るために使うなど、濫用も極まれりです。いつぞや記した拙ブログ、「まだ習っていない」と答えた中学校の英語教員のことを思い出した次第です。

さて、「同様に言われる」という中学校教員評、うかがう先で「こんな話があるのですが」とぶつけてみましょう。京都でも小学校教員から聞こえます、小中一貫教育に関わって、「わかったことは、小学校-中学校の違い、深まったことは溝!」と。身近なところでも、対話は大いに必要なようです。
Commented by 式部 at 2013-06-04 12:19 x
こんにちは、中学校教員がなぜそういう風になってしまったかと言えば部活の処遇があいまいなままに教育制度に組み込まれているからだと思います。部活顧問になると必然的に土日の休みもない環境になってしまう、部活の休みも平日1日なので平日はあまり過酷な状況になりたくないと考えてしまうのは仕方がないのかもしれません。
しかし小中一貫の状態を目の当たりにすると両方の教員のお互いの思いやりの無さが見えてきます。一般社会からかい離された環境にあり続けるために意思疎通の測り方などが全体的に欠けているように外からは見えています。
Commented by walk41 at 2013-06-04 23:08
式部さん、こんばんは。保護者の立場からの学校教員観察、興味深く思います。最近気づいたことなのですが、学校の説明責任や情報公開と言われる一方、部活動については、学校評価に含まれていないことが多そうだということ。あれだけ、大手をふって活動しているのに、学校の教育課程外にあるからでしょうね、学校評価の対象になっていないということ、不思議に思います。管理職もこれでは、さっぱり学校を管理できていません。

くわえて、おっしゃるように物理的な可処分時間の短さ、これは健康な人でも真っ当な思考や判断を困難にする水準になりうる点で大きな問題でしょう。なのに、「勝つため」「学校のため」「子どものため」、顧問教員自身をも追い込んでいるのかもしれません。

部活動の中でもスポーツ系について思うのですが、Sportの語源は、S+port 重荷から解放された、楽しくくつろぐ時間のはず。その正反対を行きがちなこと、とても残念です。
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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