学校事務職と学校管理職が一緒の研修機会があった。
学校での人事、物品、予算の管理を担う点で、学校事務職は明らかに管理職だ、と私は主張している。ただし、M. Weberが言う没人格的であってこそ官僚組織が動く面と、児童生徒という人間に働きかけるすぐれて人格的な行為であってこそ成り立つ学校組織との、相性の悪さから、教員側の管理職と事務側の管理職との対話は必ずしも十分ではない。
そんなことを普段思っているので、せっかくの機会だと、受講者の15%くらいを占めた学校事務職の皆さんに、あえて「教員にいらだちを覚えるとき」と題して、即興で話をしてもらった。こんな指摘があったところだ。
「PTA会費の予算も、年間を通じてこれほどの額になりますということなのに、いつもそれだけの額があると思って、買ってくれと言われる」「計画的な予算執行に努めているのに、いきなりこれを買ってほしい、2,3日後には届くようにしてほしいと言われる」「出張や休日の部活指導の書類を、書かないままの先生がいる」「せっかく買ったのに、開梱されることなく放ったらかしになっている」
そういえば思い出した。昨年5月の金環日食の際、突然、観測眼鏡を200個買ってほしい、といった教員がいたという話を。一体いくらかかるのか、日食のあとはどうするのか、何も考えず、だそうである。あ~あ。
確かに教育活動は「出たところ勝負」、曖昧糢糊なことが多くて、PDCAサイクルを回すなんてことはできないのだけれど、そのことと準備やつもりをすることは矛盾しないだろう。
自校の学校配当予算の金額も曖昧な、新任管理職も多かったけれど、机の配置、会議の進め方、もちろん、インフォーマルなやりとりを含めて、もっと対話の機会を増やしてほしいなと思う。