こんな日もある
「今日は何となく、クラス全体が疲れた雰囲気だった気がします」
100人ほどの授業を終えた学生からの感想の一つだ。授業者もそう感じた。打てば響くの反対、どんよりした空気が多く漂っていたように思う。「起きて頑張りや」、「~くん、大丈夫?」、「班長は誰? しっかりやって」と、掛ける声も多かった。 急に猛暑となり、くわえて梅雨時の高い湿度、こちらがこの授業をするのは週に1回だが、彼らはあれこれの授業を週に10数コマは取っているだろう。くたびれると思う。 授業でもよく話すが、授業者は授業において必ずしも主体ではない。むしろ、数で言えばまったくの少数派(何と、たった一人である)で、多数派の学生にともすれば圧倒される客体的存在ですらある、と。 また、仮に学生たちとまあまあ、いい雰囲気を得ていたとしても、今日のような天気、世の中のあれこれで、落ち着かない、眠い、しんどいこともあるだろう。学生が、授業を左右している訳でも必ずしもない。 教員だけで、また学生だけで、授業が規定できないということ、「それなりに」考えて選んだ高等教育の段ですら、こうしたことは決して珍しくないのに、義務教育として、「あまりよくわからないままに」学校に来ている児童生徒を前にして、教員が授業をうまく操作できるはずという思惟そのものが、大きな勘違いなことに気づけるだろう。 もちろん、教員の準備、話術、時間配分などによって、授業が方向づけられることは認められる。しかしながら、それはあくまでも「だいたいにおいて」という水準を、決して超えるものではない。それですら、ちょっとした環境の違いで、一挙に泡に帰する。 授業を研究するとは、と何度も取り上げているけれど、授業とは、どれほどの厳密さ、おおらかさで議論することが生産的なテーマなのか。それによって、これを研究する着眼や作法も大きく変わるのだから、個々の授業に入る前に、こうした交通整理をしなければ、いくら授業研究会や校内研究と銘打っても、何ら進まないことは明らかだろう。とくに小学校教員のみなさん、それでもやりますか、「授業研究」?
by walk41
| 2013-06-18 14:41
| 授業のこと
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Comments(4)
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式部
at 2013-06-18 15:28
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授業研究は児童生徒の保護者にとっては迷惑としか言いようのないものです。現在も研究発表に向かって躍起になっている学校、精神的にゆとりが無くなっていく教員。子ども達の顔を見た教育になっているのだろうかと疑問に思うばかりです。
何が保護者にとって不愉快かというと要望を出しても今は研究発表をを控えているので対応は無理です!という学校の姿勢、PTAには要望ばかりしてくるのに・・・ PTA(現状はほぼ保護者会)は子どもを人質に取られているから断れないし強く言えないと思うばかりです。
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walk41 at 2013-06-18 15:45
式部さん、さっそくのコメントをありがとうございます。興味深く読ませてもらいました。
「授業研究は児童生徒の保護者にとっては迷惑としか言いようのないものです」の意は、普段の授業とは別のことで時間が取られ、PTAなどに対応してくれないから? それとも、「子どものため」と言いながら、授業の何が変わったのかがわからず、子どものためになっているとは思えないから? あるいは? どの辺りに感じられるのでしょうか。是非うかがいたいところです。
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式部
at 2013-06-19 15:52
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1、PTAの役員も会議には時間を取って行事打ち合わせに行っているのに打ち合わせをする段階にもなっておらず、いつまでにしてくれるよう要望しても対応できないと言われる事多々、結局連絡なしで行事運営がうまくいかなかった経験がある。
2、学級運営がうまくいっていないにもかかわらず研究発表の方を優先している姿を見せられた経験がある。 3、児童も保護者も研究内容が全く知らされておらず何を研究しているのかさえもわからない。複数の教員が研究をされているようで余裕のある先生が見当たらない為児童も保護者も悩みなどを相談できる雰囲気にない。 私が一時期学校内部にいたからこそ見えた所もあるのかもしれません。 学校や教育委員会に不信感をもっている為の愚痴になっていると思われるところがあります事をお詫びいたします。
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walk41 at 2013-06-19 16:16
式部さん、ありがとうございます。学校におられたこともあるというのは貴重な立場だと思います。過日も大学院生たちと話をしたのですが、学校という場はどうも物事の優先順位をつけるのが下手で、というか、成し遂げるべき目標や完成といったものがない業務を扱っているので、順位をつけられないということ。だからこそ、校内研究についても、「よくわからないままに」やっていことが多いのでしょう。教育実践というものと研究との関係については、場を改めて議論したいところですが、それぞれの出来事に対応することを等閑にしながら、あるはずと信じる再現性や普遍性を希求するという、ちぐはぐさは、式部さんが指摘される点に連なるように思われます。
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