学校事務職のみなさんと研修機会を過ごした。
学校が目的とする「教育」と学校に求められる「組織」との相性の悪さを話す。そこから、前者に傾斜しやすい教員たちと後者を重視する事務職との葛藤があるのではないだろうか、と尋ねる。
すると、「いっぱいあります」と声が上がったので、「じゃあ、やってみますか」と、学校事務職から見た「教員にいらだちを感じるとき」について、各々出してもらったのだ。
曰く、「電話が掛かってきたら知らせて、と言ったのに、いざ電話が掛かってきたら、どこにいるのかわからない」「電話に出るのが事務の仕事だろ、と言われた」「まだ未受領なのに、領収印を勝手に押す」「物品購入についての計画性のなさ」「授業直前になって、(理科の実験で使う)塩がない、と叫ぶ」
「(教員自身の)年末調整の書類について、保険会社からの書類の束をポンと渡して、書いておいてと言われる(小さい字だから読めない、と言われる。また、書かせても間違いだらけなので、面倒だから、やっている)」「毎年、出す書類なのに、同じことを何回も聞かれる」(自分に関わる手当のことすら後回しにする)「要綱などにかかわらず、自分のポリシーでやる」
おおよそ、このような意見が出された。教員のみなさん、いかがですか。「教育」と「組織」のぶつかるところが学校でもあるので、「計画どおりといった感じでは対応できない」「状況に応じて臨機応変でこそ教育」と反論もあるだろう。だからこそ、たまには忙しい手を休めて、お茶でも飲みながら真面目に雑談をしてほしい。学校が公共事業を担ってもいること、その一方で、ケースごとに応じざるも得ないという、学校という場の両義的な特性が確かめられると思うから。