研修中の話、そう教頭に言ってきた50歳直前の小学校教員がいるという。当の教頭は、二度三度と話をしているそうだが、本人の意見が変わった様子は見られないらしい。さて、その是非を判じる前に、これをどんな問題と捉えればいいのか考えてみたい。
①校長の校務掌理権(学校教育法第37条)から言えば、この教員は学校教育の制度について理解していない。ただし、教育委員会と各学校との関係でいえば、たとえば「学年×10分の家庭学習」といった教育委員会の方針が妥当だったのかの検証と行政能力の評価が伴うことも、無論である。
②学校経営方針がどれほど具体的なのかはわからないが、子どもの都合もあって、実際の職務遂行は相当に幅があり、他の多くの業種・業態では当然なマニュアルのレベルまで規定できないから、この物言いは議論のための議論である。
③「では、どうしたらいいか」と生産的な議論に進まない物言いならば、内容にかかわらず、職場でのコミュニケーション不全を示している。いたずらに「対立」を煽り、人的資源を浪費している。
①は法制的、②は経営・運営的、③は人間関係的、と言える。児童生徒と向き合う最前線においては、③②①の順にストレスが強いことだろう。やりがいのある職場生活のために、関係者が問題をどのように捉え、何を変えうるのか。「まず行動」と言う前に、事実を解きほぐし、問題を立てるというステップを一つ踏むことが大切だと思う。