学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

体育嫌い

古市憲寿「運動嫌いと体育嫌い」(日経、2013717)を読んだ。

氏は「それほど深刻ではなかった小児性ぜんそくをフルに活用して」体育の授業はほぼすべて見学で通したのだそう。そんな彼がスポーツブランドの靴を買って、動いてみるとなかなか楽しい。「思えば、僕は運動嫌いというよりも、ただ体育が嫌いだったのかもしれない」。ダサイ体操服にわざわざ着替えさせられ、やたら協調性や連帯責任が強調される種目に従事させられるのが嫌だったのだ、と。

よくわかる。私も中学校に入って、部活に入ることを強要された時、じゃあバレーボールか野球をと考えたが、どちらも髪を短く切らねばならないことを知り、文化系にした。短い髪は嫌だったから。「民主教育」が叫ばれていたもとで、生徒の人権はさっぱり顧みられなかったのだ。

全校朝礼の時、後ろからいきなり髪の毛を掴まれ、驚いて振り向くと、「髪、切って来いよな」と恫喝したのは、冬のむちゃくちゃ寒い朝、グランドで教員を待っていたら、二階の職員室から大声で「ボールでも蹴ってろ」と自分は出てこなかった体育教員だった(こんなサボタージュを許した学校管理職も相当である)。そんなことに従わずだった私は、まだ成績が良い方だったので、バリカンで無理やり刈られることはなかったけれど、決して大げさではなく、収容所生活であった。

いま、学校を訪問して指導案と授業を見せてもらうが、教員は自分たちが扱う内容は児童生徒にとって意味があり、さらには面白いはずだという思い込みがまま強い。とりわけ体育については、「身体を動かす喜び」や「プレイを通じて培われる仲間意識」といった言葉に酔っているのではないかと思われるほど、無前提に価値観しがちで、「そんなのは嫌」とか「あほらしい」とか思う子どもについては、「本当の楽しさをわかっていない、だから教育がより必要なのだ」と、まるで預言者モードである。これって怖いわあ。だから、授業後のおしゃべりは「子どもがイキイキしていました」という褒め言葉で費やされる。やらされて心で泣いてる子もおるんやで。

教員は「教える」のが仕事だから(その仕事がいつまであるかはともかくも)、やってくれていいのだけれど、その意義と限界のいずれをも視野に入れた仕事をしてほしい。とくに体育や芸術系は、座学と違って好き嫌いや出来不出来が明瞭に現れる領域だから、好きだったり上手な生徒の一方で、この真逆の生徒がいることにも、もっと心を砕いてほしい。

ちなみに古市氏はこうも書いている。「体育が得意で、運動部に所属していた同級生たちは、いま次々と体形が崩れ始めている。『スポーツを辞めたのに食べる量が変わらなくて』… だとすれば、学生時代に体育やスポーツをすることに、果たしてどれだけの意味があったのだろう」。学校体育は昨今、生涯スポーツの基礎をとも叫ばれているようだが、この辺り、どう思うか関係者に是非うかがいたいものだ。
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by walk41 | 2013-07-18 09:03 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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