学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

焦点を絞ろう

教育委員会関係の研修会を見学させてもらった。担当者が用意した「問い」に対して、参加者が机に置かれたシートにそれぞれ記入、それらを参加者間で重ねることで、よりよいアイディアを出そうという、ワークショップスタイルである。

正直な感想を言おう。いたくがっかりである。たとえば、「学力を向上させるための支援には、どのようなものがあるか」といった調子の問いが出され、これに各参加者が応えるというものなのだ。この他、「教職員のやる気をいかに高めるか」など、部会ごとに質問が設定されていたが、いずれも雲を掴むような話で、何を考えて良いのか、さっぱりわからない。私ならば、きっと何も書けないことだろう。

まず問題となっている学校種がわからない。いろいろな学校関係者がいるから絞れない、と言うかもしれないが、ならば学校種別にグルーピングを考えるべきだろう。小学校の学力と高校のそれとは別と捉えてよいはずである。あるいは、学校から見て、どんな学力が問題となっているのかがわからない。知的、美的、技術的など、これによって考えるべき方策も変わって来るだろうに。さらには、これまでいかなる取り組みや試みがなされたにもかかわらず(あるいは、なされた結果ゆえに)、問題が提起されているのかがわからない。教員の努力や工夫の不足ゆえかもしれず、児童生徒の状況から「荒れた学校」になっているのかもしれない。かくも、わからないことづくしである。

こうした進め方の何が問題なのか。それは、リアリティーを欠いた、あまりに漠然とした話で、答える前の、問題を設定する段階でおよそ成功していない点である。すなわち、よりよいアイディアを得るには、現状をより適切に分析することが必要であり、それを踏まえた上で、ありうる選択肢として「どうすればいいか」という方法に話が進むのだが、上のような設定では、第一段階の現状分析にまず至っておらず、このために、第二段階である方策に関しても、大したものは出せないと判断できるのだ。

何よりもまず、問いを具体化しよう。たとえば、学力向上を図るために、という題であれば、①何が問題なのか、を明らかにすること。学校の仕事は数多あれど、学力向上を目標にしないことはないのだから、そうした努力にもかかわらず、首尾良く行っていないことをどのように評価するか、つまり分析をすればよいのか、②この評価あるいは分析をより適切にするには、「学力が芳しくない」という状況の周辺をより多面的に捉えることができるか、にかかっている、意外な要素が影響している可能性もあるからだ。③これらを踏まえて、どのような方策がありうるか、を一つの選択肢として考えることができる、と進めるのがいいのではないだろうか。

にもかかわらず、ぼんやりとした発問とそれに伴う作業、というスタイルは、学校管理職試験でも見られる。榊原禎宏「管理職試験の制度と言説」(小島弘道編『校長の資格・養成と大学院の役割』東信堂、2003)に記したように、校長になることが決まっていても、いずれの学校かが着任の数週間前に至ってもわからないという、人事異動上の特徴を日本の学校は持っているが、このことが教員や指導主事についても当てはまるのだろうと思う。だから、尋ね方が現実味を持ち得ないのだと。

学校「現場」に近いとされるところですら、失礼ながら議論がほとんど実践的示唆に富まないことを懸念する。さらに、より問題だと思われるのは、こうしたスタイルを続けていることに、異議や反論が少なくとも表向きは現れないことである。内心はそう感じている人もいるだろうけれど、職場の雰囲気、空気を感じとって、「出る釘は打たれる」とわかったふりをする。

こうした属人主義(内容ではなく、人間関係から問題を判断する)が学校においてだけでなく大きな影響を及ぼしているだろうことが問題であり、これをゆっくりであれ確実に革新することが、学校教育経営としてのミッションに置かれるかと思う。さて、その実現可能性はどうだろうか。PDCAサイクルを回せば、うまく目標を達成できるのだろうか。

くどいけれど、是非うかがいたい。参加されたみなさんは、どのように自分の地域を変えて行きたいのだろうか。その上で何が障碍であり、どう悩んでいるのだろう。独りよがりでも構わない、そのための情熱や使命感、強い思いがなければシャープな問いなど、期待しようもないのではないだろうか。どうぞ聴かせてほしい。
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by walk41 | 2013-07-20 22:37 | 学校教育のあれこれ | Comments(2)
Commented by もくれん at 2013-07-21 08:28 x
 最近の子ども達は家庭環境の格差が大きくその環境では心も萎えるであろうと思われる子どもたちも頑張って登校してきています。その子ども達に学校がきちんと向かい合えているだろうか。学校だけでは解決できない問題もあり、そのためには行政や地域との連携が必要であると思います。教員は授業をしているだけではすまない多くの時間がかかります。
 教員ではない私が子どもたちのためにできることは、様々な資源(人、物、金、情報)の投入が必要と言われそれなにり努力をしてきたつもりです。
 しかし、当然のことだけど、最終的には、直接指導にあたる教員の指導力、一人ひとりにむかう覚悟にかかってきていると思います。以前より困難な子どもたちが増え、様々なサポート体制ができ、たくさんの方が支えています。でも、あくまでサポートであり、1時間の授業の質は授業者の力量にかかっています。本当に全員が覚悟ができているのかな。一人ひとりにきちんと向かい合えているのか。やりがい感、充実感、ではなくいつも多忙感に追い立てられているように思います。
 原点に返り、本音で話合いをしてみることが必要だと思ってる今日この頃です。「シャープな問い」参考にさせていただきます。
Commented by walk41 at 2013-07-21 11:12
もくれんさん、困難な状況が少なくない中で、どうすればよいか、の前に、どう悩めばよいか(どんな問題か)、はより重要な思考上の作法になっていると思います。問題を掴まえきれず、いたずらな方策に走ることなく、思考の前に実践と慌てることなく、うまく歩きながら考えるスタイルで臨みたいものですね。
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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