「しぶきを上げろ 全米で水泳教室」(日経、20130728)。義務教育に水泳がないアメリカでは、地域による水泳への熱心さの違いが泳力に大きく影響しており、北東部や内陸部では、プールのない学校が大半、習い事での優先順位も低くなりがちだという。その結果。黒人の子どもの7割、ヒスパニックの子どもの6割は泳げず、溺死の割合は実に白人の3倍に達するのだとか。
日本では水泳が学校教育に位置づけられており、小学校の学習指導要領には、「水遊び」「浮く・泳ぐ運動」「水泳」と2学年ごとの内容も示されている。「何気に」プールや海で遊んでいたこと、臨海学校があったり、夏休みに学校プールに通ったことが、結果的に命を守ることにもつながっているのだなあと思わされる。
こうした大量の量的データをもとに導き出せる事実から、教育内容について議論することはできる。ただし、それはあくまでも大量の量的データという但し書き付きだ。1つのクラスや学校ほどの量では論じるのが難しいことも、同時に確かめるべきだろう。
ところで、北海道での研修で対応下さった指導主事のお一人が体育教員で、お昼ご飯を食べながらお喋りをしていたら、こんなことを言われたのがおもしろかった。「そういうことだったのですか。北海道では野菜や果物を育てるビニールハウスでイメージしてもらうような形のプールが一般的なので、本州の人から『夏、プールによく行って、皮がむけた』と聞いてもピンとこなかったのです。」イメージするプールが違っていました(^^;)。総務省統計局「統計でみる都道府県のすがた」(2013)ほかデータによると、公立小学校プール設置率(対公立小学校数)で北海道は第47位、寒いところですものね。