大阪市では、教頭志望者が激減している状況を受けて、対象となった教員には原則的に教頭試験を受けるように指名する、という異例の方針を決めたという(毎日、20130727)。
これが特定の自治体だけのことなのか、それとも似たようなことが広範に見られるのかはわからないけれど、もし後者だとすれば、それは教職のあり方に少なくないインパクトをもたらすように思う。
なぜなら、教職はもともと職位が少なく、職階も限られている。これに対して、職業威信のみならず職位威信を高めるべく、歴史的には主任制度が設けられ、近年では「新たな職」と副校長、主幹教諭、指導教諭を置くことができるようになり、手当(1日あたり200円だけれど)の支給、新しい給与号俸を創設が図られてきた。
もちろん、職位や給与の上がるだけが職業人生じゃない、とは言えるけれど、経験や年齢に即した処遇を求める人もいるだろう。何より大切と思われるのは、立場が変わることによって自身を振り返ったり、新しい課題を見出す契機を得ることが多い点だ。大学院の授業で小学校長を長く務めた方と数年間、ご一緒したことがあるが、「校長になる器がもともとあるのではなく、校長をやる中で次第に校長らしくなっていく」と話されていたことを思い出す。ある立場に置かれることが、変わるきっかけをもたらすのだろう。
「指導力不足教員」のおよそ8割が40、50代ということを合わせ考えると、業務やその結果の見えにくい教職にあっては、いっそう自身を問い、変態していくことが望ましいと考えられるから、その一つとして学校管理職を志すこともあってよいだろう。その方向を取る人が減ることは、どのように自分の教職キャリアを描くのか、全体としていかに健康的に働くのか、学校内外での発想と方略が問われることになる。
児童生徒への課題として、キャリア教育論が喧しいけれど、その前に、あるいはそれと並行して問うべきではないだろうか。「教職に就くあなたのキャリアをどのように展望しますか、また、そのためにどんな準備や取り組みを進めるつもりですか」と。