北海道、十勝の帯広百年記念館を訪れた。今や北海道の食糧庫というほどに豊かになったこの地だが、明治中期に始まる開拓の歴史は、壮絶なものだったことがわかる。
その中でも、静岡県出身の依田勉三の熱意、というには言葉が足りない情熱には大変驚かされる。民間会社、晩成社を立ち上げ、政府から開墾を条件に払い下げられた土地、一万ヘクタールを15年間で開墾する予定だった。しかしながら、干ばつ、バッタの襲来、冷害などのために、最初の5年間でなし得たのはわずか20ヘクタール、およそ目標に及ぶものではなかったという。
その間、中心メンバーの気持ちの変化、方針の転換などを経ながらも、50年後に解散するまで、多くの土地を開墾し、その後の開拓者の先駆けとなった晩成社、その功績は讃えられ過ぎることはないだろう。
自らの生命を賭けても実現したいと思うミッション(使命感)は、まず持てることがすでに途轍もないことであり、後の状況の変化により、変わることを余儀なくされるものの、それでもなおごく一部の者に、この旗を掲げ続けた栄誉が与えられる。
ミッションを持ち続けることは大多数には難しいこととわかった上で、ミッションを問う側の覚悟も問われる。天に唾する者は…、回り回って…、を踏まえた経営論であるべきこと、つまり、「あなたのミッションは?」などと簡単に問えないことをわかった上での発問であるべきこと、を思わされたのである。