野球シーズンも終わりが近づき、話題は個人タイトルに移っているとNHKニュース。
大リーグでは、三冠王を二年連続とれるかが注目とのこと。高校生くらいまでは誰の打率が数毛、上がった下がったと盛り上がっていたが、今やさっぱり、どんな選手がいるのか、さらにはチーム名すらおぼろげだ。だからこそ考えられるのだろうけれど、例えば、二年連続してタイトルを獲得することに価値を置くのは、どんな論理だろうか。
1回でも取るのは至難なのに、それを続けて取れること、今年も是非と期待される中、緊張をはね返すことが素晴らしい、この辺りだろうか。ならば、反対の論理を用意することもできる。勢いがついている中では、または緊張を力にして、実力以上も出せるのではないか、と。
あるいは、別の論理を立てることもできるだろう。期間を空けてタイトルを取れるほどに、実力が長期的に保たれていることが素晴らしい、と。
つまり、どのような価値にもとづいて、いかなる論理を立てるかが先にあり、その先にデータが生まれる。この点で、データとは得やすいものとも言える。なぜなら、馴染んだ論理に即したデータは「当たり前」だからだ。ここに、別の論理を立てようとする意味がある。新しい研究をするためには、これまでとは違った論理を生み出そうとすること、もって従来とは異なるデータを見つけることができる。
いい研究をするには、データを追い求めるだけでは不十分だ。論理的に新鮮なものを示し得るかどうか、そこに研究の面白さが宿るのである。