学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

学級担任を決めない

前から思っているのだけれど、現実味のないアイディアだろうか。何年何組の学級担任はこの教員というルールを外すことは。

各学級には学級担任を置かなければならない、とまでは法制的に決まっているけれど、特定の人物が学級担任であることまでは求めていないように思う。だから、たとえば小学校なら、1年生と2年生、3と4、5と6とブロックとも称される単位くらいで、いずれかの学級をどの教員かが毎日担当する、とルールを変えても良いのでは。

各学年2クラスの規模ならば、ブロックで4クラスになる。教員は4人プラスαになるだろうから、自分たちのローテーションを週単位くらいで組み、毎朝の打ち合わせで申し送り(カンファレンス)をして、それぞれの教室に向かうというスタイルにするのだ。

この仕掛けのメリットは次のようだ。
①「自分のクラス」にならず、否応なしに複数のクラスを視野に入れなければならないので、学級王国が生じない(ブロック王国は起こりうる)。
②教員と児童・生徒の相性の良し悪しが緩和され、お互いに辛い思いをすることが減る。
③より多くの児童・生徒との関係が求められるので、過剰な教育的配慮という暴力的側面を弱めることができる。
④同僚間の風通しが良くなければ業務が遂行できず、コミュニケーションが促されて議論もより可能になり、メタ的な視点も持ちやすくなる。
⑤学級だけでなく、学年やブロックさらには学校全体を考え、行動することが増える。

対するディメリットには、じっくりとした児童・生徒との関わりが持ちにくくなることを挙げられるけれど、それは②や③の裏返しであり、①④⑤との交換関係になるとは考えられない。どうだろうか。なかなかいい考えだと言えないだろうか。

あちこちで提案するのだけれど、これに限らないあれこれのアイディアを実験的にやってみて、こりゃダメだと思えば元に戻せばいいだけだと。やってみずでは何も変わらないではないかと。

学校改善や革新あるいは改革とは、文字通り、何かを新しくやってみることである。上手くいくかどうかはわからないけれど、やってみることで何か気づきや発見があるだろうから、やらないよりはマシだろう。

こうした姿勢すら持たず、かたや学校改革を叫ぶなど、どれほど不整合な頭の中だろう。新しい発想と行動を取ることができるかどうか、「近頃の子どもや保護者は」と嘆く前に、自分たちでできることをやってみるのが、手っ取り早く、効果のいかんも確かめられることなのに。

それとも、こんなんはアカン、やる前からわかるわ、って感じだろうか。ご批判をいただければ嬉しく思う。
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by walk41 | 2013-09-08 11:01 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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