学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

特別支援から考えれば

特別支援学校にうかがった。廊下からではあるけれど、教室の様子も見せてもらえた。

それぞれの子どもの状況が一様ではないことを踏まえて、これに対応するべく教員ほか多くのスタッフ間のやり取りがなされ、いわゆる指導法の工夫などがなされていることがわかり、勉強になった。器質的障害や発達的な事情の違いが与件とされて、それを前提にして彼らがわかるように、できるようにと学校が考えなければならない様子が良く伝わった。

このことは、発達に重きを置くか教育に置くかの違いとも、言い換えられるように思う。前者は子どもの様子を大きな規定的条件と見なすのに対して、後者は変化させられるべき課題として捉える、ということである。「子どもの現実から出発する」と同じように言いながら、それを簡単には変えられないと見る立場と、それこそが変えられるべきものと見る立場とでは、正反対ほども違うことがわかる。

たとえば、「落ち着きがない子どもである」という<見とり>をする場合、前者はそうした子どもだから、どのように教材を提示し、活動を組んでいくかと考える。これに対して後者は、だから落ち着かせるためにどんな指導法が有効かを考える。しかも、自分たちの所作を変えることによってこの方法を考えるのではなく、たとえば、「静かに廊下を歩くというルールを徹底させる」「保護者に忘れ物がないかを点検してもらい、チェック欄に印をしてもらう」といった他人任せのアイディアが実に多い。

同じ言葉を遣っていても、これほどまでに実践のあり方が違ってくる。前者はそれに沿って少しづつ変えていく方向を取るが、後者はそれを教育課題として多くは否定されるべき対象とされる。両者の相違は明らかだろう。にもかかわらずこの違いに気づかず、「事件は現場で」とか「目に前の子どもを見て」などと言って、済ませてしまっている現実があるとするならば、何をか言わんやである。

教育学研究、つまり教育に関する研究とは、そうした言説を分析して批判すること、もって「わかったような」お喋りを脱構築し、最初に戻って組み立ててみようと促すこと、こんな作業にこそ意義があると私は考えている。
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by walk41 | 2013-09-13 17:33 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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