小学校を訪問した。
授業公開だったので、駆け足ながら一渡り見せてもらう。
授業の内容もさることながら、興味深く思ったのは、4年生と同じ学年の、隣り合うクラスで、一方の教員は、授業中、児童を下の名前(名)で呼び捨てし、もう一方の教員は児童を上の名前(姓)にくん、さん付けをしていたことだ。いずれもベテランと言っていいくらいの年齢の女性である。
拙論「叱るときこそ丁寧に-教師の子ども呼称における賭け-」(『教育実践研究紀要』12/225-229, 京都教育大学附属教育実践総合センター, 2012.03)に書いたが、子どもといえども(子どもだからこそ?)、どのように呼ばれるかによって、相手に対する印象は変わるとすれば、そのありようは、「教材研究」以前に問われるべきだろう。
しかも同じ学年、たまたま当たった学級担任の考え方で、呼ばれ方が多少なりとも違うことは「誤差」として許容範囲なのだろうか。それとも、「それぞれのカラー」が出るのが学級経営だから仕方がない、あるいはむしろ望ましいことでもあるのだろうか。そもそも、児童がそう呼ばれていることを互いが、さらには校長ほか他の職員は知っているのだろうか。
せめて、「なぜそう呼ぶか」を両者で話し合ってほしい。それでこそ、「風通しの良い」組織だろうと、私は願うのだけれど。