各地から七つの大学の教員と学生が集まり、卒業論文や修士論文の進捗を報告して議論するという、いわば他流試合に臨む会が京都で開かれた。今年はホスト校としてお世話したが、準備が十分でなかったり、予想外のことが起こったりと、迎えた学生たちは、人をもてなすことの難しさも学んだかと思う。
年にもよるが、60人から80人ほどの教員と学生がこうして集い、短い日程ながら、集中して時間を過ごすという経験は、とりわけ学生にとって意味ある機会になっているのではないだろうか。普段はゼミの教員による指導に限られるのに対して、多くの教授から指摘を受ける、あるいは、ゼミメンバー以外の学生からの質問に答え、意見を聴く、こんな機会をぜひ活かして、自分の論文完成を目指して多いに励んでほしい。
同時にこうも思う。当たり前のようにこうした会が開かれていること、特段、発展している訳でもないが、おおよそ同じような時間が流れることが、実は当たり前ではなく、関係者の参加意欲やホスト校の熱意などに支えられているのが、すごいことではないかと。
大学教育としての職務でもなく、やらなければならないことでもない。にもかかわらず、途切れることなく続いているということ、学生たちには、そのちょっと珍しさを感じながら、たくましく自分の課題に向かってほしいなと願っている。