校長研修にて話をする。学校評価などで集められるデータですが、なぜ平均値として示されるのが、もっぱらなのでしょうと。
どのような値であれ、知りたいことに応じて見るべき値は違っているはずなのに、どうして集めた値を標本数で割って出る値(平均)に偏るのか、説明がなされているようには思われない。
たとえば、代表値(一番多い値)、あるいは分散(散らばり)を見ることが意味のある場合もある。同じ学校に勤めているのに、こんなにも受け止めが違うということを問題にするならば、見るべきは分散であるし、もっとも支持の多い値を知りたいのならば、代表値が大切になる。この他、最高値や最低値などもあり、知りたいことによっては、これらを示すことが重要な場合もあるだろう。
言うまでもなく、知りたいことによって、調べるべき値が違ってくるにもかかわらず、なぜか平均値が偏重されるために、「昨年度より~ポイント上がった/下がった」と大騒ぎになる。いつもながらの台詞やけど、学校ってホントに不思議やなあ。
マスメディアが賑わす、いわゆる学力テストも同様だ。都道府県別のランキングはなぜか平均点だが、どうして平均が重視されるのだろうか。たとえば、90点以上の生徒が占める割合、反対に30点を下回る生徒の割合、あるいは、もっとも多い得点層(代表値)、散らばりの小さな県別割合などでもよい。これらの他にも選ばれるべき統計量があるから、当てる物差しによって、現在の順位も変わってくるだろう。
こうした手続きを経なければ、適正な値を得る、そして妥当な解釈ができないにも関わらず、「知るべきは平均値、そしてそのランキング」と短絡され、さらに数字が一人歩きする。「~県って、学力日本一なんですね」って。これって、関係者がいかに統計学を理解していないかってことの証左である。
そんな人たちが、学校教育を憂うっていったい。まず自分たちの観察能力、測定能力、そして解釈の能力のもっともらしさを問い直すべきではないだろうか。