NHK、ドキュメント72時間-"縁結び"列車に乗って-を観た。
パワースポットとも言われる出雲神社を目指して、東京から夜行列車に乗り込む人たちを追う。その中に30代の独身女性が二人、良縁を求めるいずれも小学校教員ということだったが、学校での様子について次のようにインタビューに応えていたのが、とても興味深かった。
「今週は全然怒らなかったですよ。ウキウキしているので。イラッとすることもなんか、もうダメだぞって。」
いかがだろう。教員も児童と同じように、あるいは児童以上に、その時々の気分や感情に左右される行動をとっていることが、よくわかるのではないだろうか。
にもかかわらず、授業の指導案は、教員がいつも冷静沈着でおよそ感情に支配されることがないかのような想定で描かれている。これが実際と乖離していることは明らかだろう。授業メンバーの片方の教員がこのようであり、もう片方の児童や生徒も同様にその日やその時の様々な感情に影響されて行動していると見なせるなら、両者が出会う授業が、出たところ勝負のライブ(生もの)になるのは、当たり前すぎるほどに当然のことである。
なのに、授業の遙か以前に指導案を提出することが求められたり、そうではなくとも、授業前に「事前検討会」などが熱心に行われたりする。いずれも、当日どんな様子で教員や生徒たちがいるかどうか読み切れないにもかかわらず。そして、研究授業などでは「予定に即した進行」が求められるという「無理を承知」が横行するのである。これが見世物や「やらせ」でなく何だというのだろうか。
授業や教育実践というものから感情を抜いて説明することができないにもかかわらず、それがないかのような前提で議論されている授業論というものの、不思議ささらには滑稽さをどうしたものだろうか。それとも、読んで下さっているみなさん、榊原はかくも的外れの物言いをしているのだろうか。ぜひ教えてほしい。