大学でも「質の保証」が求められ、教員養成大学では、いかに多くの教員を輩出しているかが問われている。なぜそういうデータが用いられるのかさっぱりわからないのだが、卒業者数に占める正規採用+常勤/非常勤講師となった者の割合が、大学単位で全国ランキングに載せられることもあり、各大学とも神経を尖らせていると思う。
そんな中、「いかに教職へと学生を方向づけるか」そして「いかにちゃんと教員に就かせるか」が、大学で議論されるが、どうすれば良いかが必ずしも自明ではないことが悩ましく、また興味深い。高校生ですでに教職志望ならばこれを継続させるのか、それとも、大学生活を送る中で「ふと」志望することがむしろ大切なのか、そもそも教職志望はどれほど安定的な志向なのか移ろいやすいのか、よくわからない。おそらく「人それぞれ」の余地が大きいからだ。
そして、たとえ志望しても採用数は年ごとに変化するから、多く採用される年や地域かそうではないのかにも大きく影響される。関西では私立大学が新たに教育学部や教職課程を設置しているけれど、団塊世代後の世代交代もやがて終わる。「教職バブル」も長続きしないから、いずれ淘汰されることだろう。教員採用試験は資格試験ではない、自分たちだけではいかんともしがたいのだから。
そんなこんなで決まる教員への道、大学の責任はもちろん免れないけれど、それだけで説明できる訳でもない。だから、「シンプルでわかりやすい話」は怖いのだ。「大学が説明責任を果たせば、教員就職率は上がる」ってね。そして、そんな話をする人がなぜか人気を博したり、首長や議員に当選したりするんだなあ。「民主主義不信」とはいきなりいかないけれど、有権者のみなさん、もう少し慎重に考えてほしいなあと思う。