学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

国家単位の比較の意味は?

「北欧の教育王国はなぜ崩壊したのか? スウェーデンの学力凋落の原因を探る」(産経新聞、20140105)、2012年のPISA調査で北欧諸国の成績が大きく低下していることを論じ、『スウェーデンののびのび教育』(新評論、2002)などを挙げて、10年ほど前の同国礼賛傾向を、暗に批判するものとなっている。

同記事中のある分析では、スウェーデンで公教育を地方分権化したことと移民の増大が「学力低下」の背景とするが、二点を指摘したい。その一つは、人口およそ960万人の国での中央集権や地方分権を、13倍ほどの人口を有する日本のそれと同じように考えられるか、である。

wikipediaに頼ると、スウェーデンの大都市は上から数えて15番目ほどで既に10万人以下の規模、日本の市に相当する基礎自治体コミューンの数は290とのこと。かたや、790ある市のうち、10万人以上を数えるのが約260の日本と比べると、一つの自治体が及ぼしうる影響力とその数には、一桁の違いがある。「地方」の指すものが大きく違うのに、一律に「地方分権」(地方主権)の是非を議論することは難しい。

もう一つは移民の問題について。移民の子どもにとって母語でない言語で行われる学校の授業がわからないのは、まったくの同義反復である。それは、言語の授業だけでなく数学や理科などにも及ぶことだ。この点で日本は移民受け入れの劣等生なので、日本語のわかる子どもが圧倒的である、だから、日本語で扱われた内容を理解しやすい(今なお、「国」語とも称しているし)、よって「学力」が高い、という構図を出るものではない。

仮にPISAテストの問題が、「世界標準」だと英語で出題されたとしたら、英語圏の子どもが良好な成績を収めること、間違いないだろう。移民の比率と「学力」とが相関するのは当たり前のことである。

かくして、私の関心は、国を単位とするようなドンブリ勘定の話よりも、それぞれの教室で起こっている当事者一人ひとりの経験する世界に引き寄せられる。公教育の国家間比較って、どれほどの意味があるのかなあ。これを大まじめに議論する人やこれを政治的に利用する人って、わからんわあ。


[PR]
by walk41 | 2014-01-06 10:02 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
<< こんな「なんとなく」も 学校教育という儀式 >>



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
名前
at 2017-12-14 10:49
児童がほかの教職員と出会う
at 2017-12-13 06:32
マンションポエム
at 2017-12-11 14:44
鉛筆で遊ぶ
at 2017-12-10 07:39
除籍の不細工さ
at 2017-12-07 18:34
変化にかかる時間の意義
at 2017-12-07 10:09
question, prob..
at 2017-12-06 14:30
「お疲れさまです」
at 2017-12-05 14:30
非標本誤差
at 2017-12-02 20:58
大学の授業の作法
at 2017-12-01 18:45
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧