学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

自分が正しいと思う前に

「相手の嫌がることはしない」(毎日新聞、20140110投書)を読んだ。投稿主は50歳の中学校教員。

曰く、「我々教師が教育の現場で、生徒に対してまず教えることは「人の嫌がることをしてはいけない」「相手の気持ちを考えて行動しなさい」ということだ。ところが、今回の首相の「靖国参拝」はどうだ、と始まる。

私が教員に厳しすぎるだろうとは、何度となくお伝えしていることだが、それでもなお、こうした思考上の「のんびりぶり」は何とかならないかと思う。

学校教員、なかでも中学校の教員は、義務教育段階を終える子どもを前にして、勉強することを強い、「中学生らしく」あることを強く求める。そうでなければ、「望ましい生徒」にならないと信じられているからだ。こうした暴力は、「生徒のためを思って」や「社会の一員としてやっていくために」という教育的配慮、教育愛であり、「子どものために」という大義名分が伴えば、たいていのことは許されるという前提が支えている。何が「子どものため」なのかは確かめようもないにもかかわらず、である。

たとえ、生徒が「こんな勉強、やりたくない」「自分の気持ちを考えてほしい」と教員に伝えたとしても、「やりたくなくても、やらなければならない」とか「君の気持ちは、君以上に僕たちがわかっている」というパターナリズム(父権主義)に則って、教育しようとする。だから生徒に陰口をたたかれるのだ。「言うてることと、やってること、全然ちゃうやん」。

教育に伴うこんな無理さ、無茶さを踏まえた上で、「にもかかわらず」なぜ教育に臨もうとするのか、その無理さや無茶を少しでも変えられないか、と悩むのが教員の仕事の一部でもあるはずなのに、冒頭の一文の脳天気さはどうしたことだろう。

そもそも、「相手の嫌がることはしない」ことを教えるとはどういうことか、「教えられなければそうしてしまうのが人間」という見方に立つのか、それとも「自分は相手の好悪を見分けられないから、良かれと思っても、よく考慮して他者に向かいなさい」と伝えたいということなのか、といった論理上の交通整理ができていない。ここにも、教員の「学力低下」が現れているのだろうか。

自分を含めて思う。「わかったようなこと」を言うときこそ、足下をすくわれることがよくあるということを。すべてを疑え(K.Marx)にはおよそ及ばないけれど、日々新たに世界を知っていきたいなと思う。


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by walk41 | 2014-01-11 10:18 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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