A.ホックシールドを嚆矢とする感情労働(emotional labor)への着目は、第三次産業の対人サービス労働において、人々が感情規則のもとで感情を管理、表出、抑制する様子を描き出すことに成功してきた。スチュワーデス、店員、看護師あるいは教員の仕事ぶりに見られる感情規則とその管理、表象のありようを、この分野の研究では問題にしてきたのである。
民放「題名のない音楽会」(20140112)では、三味線の4つの流派、常磐津、義太夫、長唄、地唄を紹介。中国から琉球を経て日本で三味線として発達したことを知った。
これも言われてみればと気づいたことだが、三味線の演奏では身体を動かしてはいけない、笑ってはいけない、演奏者どうし顔を見合わせてはいけない、というルールがあるとのこと、感情の発露として演奏がある訳ではないのだろうか。
ふと教育という場での感情労働との関わりを思った。教壇で姿勢を正す(直立不動、ちょこまかと動かない)、真剣に深刻に教える(笑ってはいけない)、全体を眺める(それぞれを見つめる訳ではない)といった教育上の信念が少なくともかつて、そしてひょっとしたら今なお観察されないだろうか、と。
あるいは、「楽しい授業」とはよく言われるけれど、それを支える教員側の条件は整っているだろうか、それとも、演技と思わせないほどの演技で楽しさを表出しているのが普通と言われるほどの状況だろうか。教育する者は、感情を抑制すべきだという信念がどこかに宿ってはいないだろうか、と。