東大阪市の中学校で、社会科を担当する45歳の教員が、実は教員免許を持っておらず、さらには大学も中退、卒業していないことが明らかになった(毎日新聞、20140222)。このことが明らかとなったのが、免許更新手続きだったという。驚かされた。
教員採用試験の際の書類をどこまで教育委員会が確かめられるのか、瑕疵はなかったのかも論点になるだろうが、それとは別に、大学を出ていなくても、教員免許を持っていなくても、それなりに教職は務まるんやなあ、この点で「ニセ教員」っていないなあ、と改めて思わされる。15年も働いていて、業務に大きな支障が出なかったからこそ現職でいられた訳だから、大卒や免許という変数が業務に対して大した説明力を持っていないことを示すのである。
だから、10年に一度の更新講習を受けたから、教員としての能力を担保するなど、まさに絵空事であることも明らかである。4年間の大学教育ですら大きな影響力を与えていないと今回のケースから導かれるのに、30時間ほどの研修がどれほど意味を持ちうると立論するのだろうか。
教員免許更新講習の意義は、こうした「なりすまし」をあぶり出せる点にあると言うべきである。教員がしっかりと電子データに記録され、いつでも、どこでも確認されうるという教職の制度化を促した、と評価されるべきだろう。