病院だって「おもてなし」(日経、20140220)を興味深く読んだ。患者にとって病院が気持ち良く、スタッフに親近感を持てることで、安心して積極的に早く治癒しようと思えることは、病院にとっても顧客満足の点で望ましい。だから、とっつきにくい感じを与えかねない制服を変えたり、病院でのQOL、生活の質を向上させる取り組みが進みつつある、というものだ。
この点について、学校教育はまだまだ着眼すらなされていないと感じる。学力向上のために嫌でもやらせる、宿題に臨む時間など数値を目標にさせれば達成感を感じるといった、根性論、精神論が強く、児童生徒がどうすれば意欲を持つのか、いちいち言わなくても進んでやってくれるのか、という研究やそのための議論の整理すらできていないのだから。
このことは次の点からも明らかである。それぞれの子どもにとって、たとえば教員の性別、年齢、容姿や風貌、あるいはオーラといったものは様々なのに、システム的発想に拠って、誰がやってもできる(はずの)授業方法の研究といったテーマを立てる。およそそのようなことは起こり得ないから、研究の「まとめ」といっても字面だけ、あるやり方が自分がやる時にも有効とはまず考えない。こんなことが延々と続いているのである。
「子どものため」と豪語するのであれば、彼らにとって楽しく、ワクワクするような場に学級や学校がなっているかどうか尋ねてみよう。子どもへの効果について議論する「事後検討会」に、当の子どもがおらず、ああだこうだと時間つぶしのようなお喋りをするのを止めて、生徒たちが聴きたくなる、やりたくなるような場を作り出しているのか、またそうでないのなら、自分たち教職員がどう変わることで変えられるのか(子どもを変える、が第一義ではない)という発想をまず持つこと、このチャレンジに臨めるかどうかが「おもてなし」として問われているのである。