学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

やっぱりおかしい

学校教育関係の報告文を読んでいて、目が点になった。

ある中学校で立てたという研究仮説の説明の行なのだが、「正しく評価すれば子どもは伸びる」をその一つに取り組んだ、というのだ。

あの~。むちゃくちゃ拙いって思うんやけど。いつもの教員批判にならな、しゃあないんやけど。ああ。

仮説は予想だが、この場合は「Aをすれば、Bになる」かどうかを確かめるという話になる。これとは別に探索的仮説と言うべき、「Aをすれば、どうなるのだろう」という問いもありうるけれど。

さて、狭義の仮説になる前者を立てる際に必要なのは、①AとBとの独立性がどれほど担保されているか、また、②そもそもAやBの指すものがどれほど明確か、である。

まず、②から見よう。A:正しい評価⇒意味不明。誰がどのように決める評価がこれになるのか。B:子どもが伸びる⇒学業達成や「問題行動」の減少として捉えられなくはない。これらを、いつ、どのように測定するのかは別にしても。

そして、①について、「正しい評価」いかんにも関わるけれど、これを教職員とくに教員からの眼差しと見るならば、見られ方によって対象は変化するから、つまり褒めれば頑張る、疑えば反抗する、といったこともある(これらの反対もありうる)ので、独立性が高いとは言えないだろう。「相手にほほえみかけると、相手もほほえむだろう」といった水準を超えるのだろうか。

つまるところ、この一文は仮説としての条件を大きく欠いている。定義がはっきりせず、独立性も乏しい。この結果、「正しく評価したが、子どもは伸びなかった」「正しく評価したことと、子どもの伸びとの関係はわからなかった」という結論を導く、論理的余地を残さないものになっている。「正しい評価をしたのだから子どもが伸びたはず」、あるいは「子どもが伸びたのだから正しい評価をしたはず」と言うに過ぎない。

反証の可能性を残さない論理は、ドグマ(独断)である。ドグマは他の論理を認めない。教義に従う者だけに通じる言葉遣いをする。こうした論理が「開かれた学校」「風通しのよい学校」とも言われるべきところで「何となく」語られていることに恐怖すら抱く。本当に憂うべき状況だと思う。




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by walk41 | 2014-03-07 07:24 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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