学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

論文と健康

NHK,プロファイリング、秦の始皇帝を見た。

幼い頃からの肉親の裏切り、謀略を数多く経験した後の始皇帝は、人を信じてはならないことを心に刻み、怒りをバネに、戦争を仕掛け、諸国が乱立していた当時の中国をはじめて統一したという。研究にも通じるところがあるかな。

学生によく話をする。精神的なハングリーさ、その多くは怒りでもあるけれど、これを持たなければ論文を完成させることは難しいよ、と。多少は主観的であっても、自分が捉えた現実(現状認識)が不合理、不公正、不当と思えなければ、これを変えたい、少なくとも変えなければとより多くの人に思ってもらいたい、と伝えることは容易ではないから。

「今のままで、ええんとちゃう?」「何が問題なん?」と思っているようでは、そもそも問題に至らない(問いを立てることができない)し、小さくともいかなる発見がなされれば、立てた問いに答えられるか、について悩み続けることなど、精神的・肉体的に叶うはずもないからだ。

こう考えると、論文に臨むということが基本的には不健康ともいえる。「足るを知る」であれば、「こんなん、おかしいやん!」と噛みつくこともなく、穏やかに過ごすことができるのだろう。そこを抗って(なんと幼いことに)、「なんでこうなんや」「どう考えても変」とドンキホーテよろしく「現実」に向かおうとするのが、論文の作成なのかもしれない。

「黄色い嘴」「青二才」「子どもじみた」ことなのだろうが、「わかったようなこと」を言いたくない証左に、多少は意味ある書き物を連ねているんだと、啖呵を切りたく思う。身体には良くないのかもしれないけれど。

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by walk41 | 2014-03-22 16:58 | 研究のこと | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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