このテーマに関わる第一報をいま準備中なので、詳細は書けないのだけれど、ドイツでとても興味深い学校教育の事例が見られる。
私の知る限り、これまで「一緒に学ぶ」「ともに学ぶ」とは、教室にいるメンバー全員を想定して語られてきたのではないだろうか。「盛り上がりのあるクラス」「みんなで高まる」といった言い方もこの類だろう。
これに対して、私が注目している学校教育の発想は、グループさらには個人を基本とする学習であり、必ずしもクラス全体とは考えない点で特徴的だ。たとえば同じ自然科学系の授業時間と言っても、それぞれの生徒が取り組んでいる課題は多岐にわたり、決して同じことではない。その課題に応じて個人で臨んだり、数人のグループで進めたりする。
また、何をしたかの記録を自分のノートに残し、自己評価あるいはフィードバックを促すことで、次に自分で何をするかを考えさせる点もユニークだと思う。私の勘違いだろうか、アンケートでよく尋ねられる「生徒による授業評価」は、「わかりやすい説明でしたか」「よく発言できましたか」といった教員や生徒の行為やその受け止めが主で、「どんなことを学びましたか」「次にどのようなことを学ぶことを考えますか」といった問いかけではないように思われるから。
ともあれ、「ともに学ぶ」や「学びの共同体」といった言葉が、断りなく学級全体を指していることがあるとすれば、それは怠惰な思考の表れである。「何となく」そう思い(価値観の投影)、「クラスをまとめる力が必要」と立論し(論理化)、この行為を求める(行動)という乱暴なことが生じるからだ。
クラスに一緒にいる、だけど全員が同じことをしている訳ではない。教員も全員に一斉に話しかけるようなことはほとんどない。そして各々の学習を保証するためにびっくりするほど静かな教室であることが規則として定められている。こんな学校の具体をもっと知りたいと思っているのだ。