学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

「正しさ」と信頼関係

学生に向けて、現職の小学校の先生に話をしてもらう機会を得た。

学校のリアルなお話がいっぱいで、私も学ぶことが多くあったが、同時に次のようなことも思ったのだ。

小学校でもたくさん出てくるあれこれの記号、算数の記号や漢字の書き順といったことについて、正しく示すことができないと、子どもとの信頼関係が危うくなる旨の発言をなさったのだが、はたしてどうなのだろうか、と。

以前、×(かける)や%の書き順について、高校の理科の先生に尋ねたことがあり、ご本人からは「さあ、どうでしょう」と普段は意識していない返事を得たことがあった。もちろん、高校生相手と小学生相手とでは同じように言えないこともあるだろう。だけれど、子どもから「それ、間違ってる」と言われかねないから、「正しい」板書をという論理だけでなく、「いろいろな書き方があるねんで」ということを伝えていく関わり方もある、という論理はいかがだろうか。

そもそも、人為的な決め事が記号に表象しているのだから、「正しい」などあるはずがないということを学んでおくことも大切だろう。「行く川の流れは絶えずして、また元の水にあらず」と世の移ろいとその儚さ、それゆえの尊さを知ることも、大事な学習ではないかと思うのだ。まま跋扈する「正しい教」といかに付き合うべきか、議論する価値があるのではないだろうか。
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by walk41 | 2014-05-18 13:02 | 学校教育のあれこれ | Comments(1)
Commented by むらい at 2014-06-22 23:57 x
副免実習と塾での、という狭い経験ではありますが、小学生は正しさにこだわりがあり、少しの間違えにも敏感に反応する、という傾向があると思います。そのため、先生の言われる「「いろいろな書き方があるねんで」ということを伝えていく関わり方」というのは重要な考え方だと思います。
しかし、小学校・中学校の学習指導要領では筆順などを踏まえて正しく漢字を書くことが求められています。また、漢字検定や、果ては一部の公立高校の入試問題にまで漢字の筆順が出題されているという現状があります。そのため、教員や学習者は、少なくとも漢字の筆順に関してはある種の「正しさ」を求めざるを得ない環境、あるいは敏感に反応せざるを得ない環境におかれているのではないでしょうか。
先生の言われていることと重なるかもしれませんが、このような状況では筆順の「正しさ」を一つにすること、あるいは筆順を順守する価値がどのような点にあるのか、ということを議論する必要があると思います。
例えば、下の記事では教員になる学生に対して筆順厳守の姿勢を打ち出しています。
http://www.ndsu.ac.jp/department/japanese/blog/2007/12/essay50.html
<< はじめに会議ありき? 不寛容という幼さ >>



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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