学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

「縁の下の力持ち」の仕事

中学校に通うようになり、毎回のように学ぶことがある。これまでも、わかってはいたつもりだったが、学校が「当たり前」に動くことのすごさを感じさせられる。

朝一番、欠席や遅刻に関わる電話がけっこう掛かってくる。インフルエンザが流行る冬などは、今の比ではないらしい。かたや、職員室の入り口には、生徒が入れ替わりやってきて、あれこれの理由で学級担任を呼びに来る。その間をぬうように、朝の打ち合わせも入る。

5分足らずの間に取り上げられるのは、生徒についてよりも、むしろ次のようなことだ。職員室にて管理職、教諭、養護教諭、学校事務職員の間で交わされるのは、晴天が続き散水用の水が不足する事態にどう対応するか、といった学校の施設・設備のこと、近々予定されているキャリア教育に関わるイベントのこと、定期試験の時間の確認、部活動のあるなし日の周知、外国からの訪問客のあること、関係する学校とも協議している校内研究の進捗について、学期末の授業評価の内容、教育実習生への指導と対応についてと、さまざまである。これらの周知、確認がなされたのち、学年を中心に今日の流れに即した打ち合わせが、さらになされる。

こうした「下準備」がなされた上で、各教室や体育館で授業が行われることになる、あるいは保健室が機能することになる。「授業が一番」なのはもっともだけれど、それは以上のような下支えがあってのことだ。たとえば、授業に行く、いるはずの生徒がいない。どうしたのだろうと困る、といったことが起こらないように、生徒の情報を共有すること。あるいは、学級担任ではなくても生徒から尋ねられたら対応できるように、すべてのスタッフが事態と予定を了解していること、いずれもすぐれて大切だ。

こうして学校は授業や行事といった「表舞台」とそれをささえる「舞台裏」からなっている。前者が役者とすれば、後者は黒子である。この黒子なしに役者が映えることはない。そして、多くのスタッフはこの両方の役割を担っている。

周知が徹底されていなかったり、誤解があったりと、ときに失敗も起こりえるけれど、おおよそこれらの下準備がなされた上で、生徒や保護者に見える学校の「当たり前」が陽の目を見ることになる。どのような組織も多分にそうだろうけれど、学校で起こる事態の幅広さ、それへの対応で求められる臨機応変さは、学校の基本条件とも言うべき点かと思う。

だから、重ねて思う。物的生産の一部には馴染むと思われるPDCAサイクルが、非物的生産活動の最たる学校教育において、どう回りうるのだろうか、大いに疑問だ。

このサイクルは私の見るところ、うまく回っていないようだが、それは学校の力量の問題なのか、「PDCAを回さなければならない」と唱える人の問題なのか。遅ればせながら、この問題の交通整理から始めることが「急がば回れ」ではないかと思う。
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by walk41 | 2014-06-04 19:35 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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