ドイツにおける新しいタイプの学校を訪問して、まったく当たり前に見ることができたのが、写真のような数人のクラスメイトと一緒に学習(この場合は練習ですね)する姿です。
男の子4人が、課題の音読を練習しているのですが、彼らはどこに行ってもかまいません。校内であれば教室に留まる必要はないのです。むしろ教室に留まるならば、こうした練習ができず困ってしまいます。というのは、教室は静かに勉強する生徒のための場で、教員に質問する都合上、いたって静寂でなければ困るから。
ということで、こんな風に教室の外に出て、廊下やちょっとした空きスペースを見つけた彼らは、課題に取りかかります。交替で順番に読むのです。どうですか、自分のペースで学ぶことができていると思われませんか。
教室が騒がしくなるから、個別指導は難しいと考える人がいるならば、それは、生徒の活動場所を教室と限定して考えるからとも言えるでしょう。他の教室との兼ね合いなどを考えなければいけないとはいえ、生徒個別への対応を促すことが大切と思うならば、そのための時間的、空間的条件を改変しなければならない、というのは極めて理に適っていると考えるのですが。
なのに、「椅子に座っていること」「教室から出ないこと」といったことが前提に、個別指導や「子どもの目線に立って」などということが大まじめに話される辺り、まったく浮き世離れしていると思いませんか。