民放、がっちりマンディ、今回はご飯処、大戸屋を取り上げる。
新鮮さの溢れる食事が提供できるのは、それぞれの店でキャベツ、ナスを切り、さらに豆腐もそこで作っているからこそ、と紹介された。どこかのセンターで一斉に加工して各店に送れば、手間暇を省けるが、それでは店の「売り」がなくなる、という考えからだとか。そして、この仕組みを支えるのが、盛りつけの仕方まで明示された事細かなマニュアルだ。料理には素人の番組ADさんが臨んだが、それなりの格好に料理が仕上がった。すごい。
登壇した同社長が話す。「手作りだからこそ、マニュアルが大切」と。なるほど、手作り→それぞれのやり方でなされがち→これに対応するために、精緻なマニュアルが必要、という論理なのだ。恥ずかしながら、二つ目の矢印のことは、考えてこなかったなあ。
①同じようなものを提供する→集中管理、②手作りのものを提供する→最前線でバラバラ、という認識に、自分が留まっていたことを知らされた。この先を考えれば、①では、だから最前線ではマニュアルは(あまり)要らない、とも展開できるし、②では、だから、最前線に即したマニュアルが必要、とも話を続けられる。
かくして、自分の怠慢さに気づかされた番組だった。反省しきりである。さて、この考え方は学校経営にいかに活かすことができるだろうか。「児童生徒はさまざまだから、手作りのそれぞれに留まざるをえない」という考え方の先を辿ることはできるだろうか。