小学校2年生の授業を見に行く。まだまだかわいい子どもたちだ(この子たちが、なぜ中学生、高校生になると「憎たらしく」にもなるのだろうか。自分もそうだったのだけれど(^^))。
授業は、漢字を組み合わせて別の漢字を作ることができるという段。山と石で岩、日と月で明など。
そこで感じたことは二つ、その一つは、「一」と「二」で「三」、「木」と「林」で「森」を見つけた児童がいたこと。すごいなあ。漢字で代数をやっているやん。
もう一つは、すでに習った漢字をばらして捉えることは意外に難しいのだなあということ。「野」は知っているのに、これを「里」と「予」に分けることはできない。「予」はまだ知らない漢字なのだ。
すでに書くことができているのに一つの漢字として知らないということのあること、文字の認識のあり方としてとてもおもしろく思う。これを敷衍すれば、すでに知っていることなのに、知らないでいるつもりのあることが想像できる。「知らない」のは、実は「知っている」ことに含まれている場合もあるということ。
「知る」とは、新しい知識を吸収することだけでなく、すでに知っていることの組み合わせを変えることで姿が現れることでもある、と確かめたのだった。