学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

過程を味わう

後期の授業が始まり、ゼミも再開した。卒論や修論の進捗報告を受け、議論することが中心だが、私が考えていることを話す機会でもあり、聞いてくれる学生のいることは有り難い。

学校の活動のおおよそ9割は、教室や体育館での授業であり、それは学習指導要領や教科書、あるいは各学校の教育目標に即したものと見なされる。けれど、児童・生徒という「学校にとって不可欠の存在であるが、学校の価値や志向と必ずしも一致しない存在」を無視できないことから、教育しようとする側は常に,当初の狙いの変更を余儀なくされる。「出たとこ勝負」「授業はライブ」といった臨機応変さは、学校の現実に即した合理的な行為でもあるのだ。だから、目標の実現を目指すPDCA論は、学校の活動の残り1割程度の特別活動の領域以外で当てはめることが難しい。

これに加えて、目標の実現を目指すという指向性は、教材や経験と出合い、それらを通じて自身が変わる過程を味わう意味を欠落させがちである。たとえば、新幹線の最高速度を上げたり、リニア新幹線を建設するという発想は、より早く目的地に着くことが第一であり、車窓をなくすというリニア新幹線に至っては、乗客は旅人ではなく運搬される物資である。これを学校教育に適用すると、授業はより短い時間で多くの内容を伝達し、理解させ、あるいは感じ、習得させるのが大切ということになるが、それが「望ましい教育-学習」の姿と大きく違っていることは明らかだろう。

じっくり考えてみる、落ち着いて味わう、イメージを膨らませてみる、沈黙の中に言葉を探す、といった、自身やクラスメイトとのやりとりは、急ぐことで破壊されてしまう。だからこそ、「待ちの教育」なる言葉もあるのだろう。たとえば、音楽の鑑賞で聴かせたい曲を早回しにする、美術の作品鑑賞で、ギャラリーを早足で回るといったことが愚かなのは、過程はなるべく短く、早く、つまり「何曲、聴いた」「何枚の絵を見た」ことに価値を置くことが馬鹿げている、と考えるが故である。

「百マス計算」のタイムを縮める、限られた時間でたくさんの問題を解く-これらの意味もあるけれど、教育-学習はこれと対立する価値によっても成り立っている。「考える力」「コミュニケーション力」と喧伝するのであれば、自分を観察する時間、相手を慮る時間が、より大切になると見るべきだろう(にもかかわらず、コミュニケーション力が、立て板に水のごとく話のできること、と解されるとすれば、まったく残念なことである)。「早い、安い、美味い」お店と同時に、私たちは「ゆっくりと、高い、美味しい」店も求めているのだから。
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by walk41 | 2014-10-08 16:26 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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