学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

半分、半分

文化祭ほか、この間の学校行事が無事、成功裏に終わったことから、教職員のお疲れさん会が開かれた。

合唱コンクールに向けた、あるいは劇発表に至るまでの練習、はたまた各教室での展示の準備とこれらを巡る諸々のトラブル-そこでの葛藤、衝突と仲直り-を経ただろう生徒達の成長と活躍を喜ぶスタッフの様子を見て、良かったなあと感じたのだ。

一人の教員が話してくれた。「日頃の授業でわかった、と生徒が言ってくれることも嬉しいですが、こうした行事で生徒の大きな変化が見られることも、教師冥利に尽きます」と。「普段の授業と学校行事の教育課程上の時間配分は、九対一くらいですが、後者の重みも大きいですか」と問うた私に対して、「それはそうですが、気持ちの上では半分、半分ですね」と。この発言に、とても得心が言った。

教育課程上の、つまり授業時間や日数上は、確かに9:1くらいだろう。もっともこれは、「本番」の時間数を示しているのに過ぎない。しかし、たとえば文化祭の準備に掛ける労力は、学校としてそれに充てている時間数を大幅に上回るものだから、その比重はたとえば、7:3くらいかもしれない。そして行事当日に得られる達成感、充足感、満足といったものの大きさを勘案すると、その比率は5:5、つまり、半分ずつくらいになるのだろうな。

そんな風だとすると、特別活動関係の時数は表向きは限られているけれど、そこに投入する労力、そして実感する重みは、教育課程上のそれとは大きく違っている可能性を考えるべき、ということになる。

「授業は生き物」とも言われる中、そうではない学校の場が、ライブ、出たとこ勝負、意外でもあるがゆえの感動に囲まれ、それゆえに瞬間の、持続しない、儚いものでもある事実から成り立っていること、この事実を踏まえて学校について議論する必要がある。

「どうなるかわからないからこそ、おもしろい」「ハプニング続出の中、みんなよく頑張ってくれた」という感想が尊ばれるフィールドにおいて、大切にすべき、またそうしうる観察、評価、議論の作法とはどのようなものだろうか。

「衣服に身体を合わせる」のではなく、「身体に衣服を合わせる」方向へと舵を切ること、そんな今更ながら当たり前のことを確かめることから、議論を交通整理しなければならない。

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by walk41 | 2014-10-27 22:41 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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