研究発表授業のあり方について、前の拙ブログで、実技系の授業ならば、いま専らのスタイル、公開授業としてありうるかも、と記した。
この続きを考えているのだが、生徒の変化を客観的に観察、測定できる余地の多い実技系ならば、なおさら、授業という形に拘ることなく、生徒の活躍の様子を見せる学習発表会でいいではないかと思う。お客さんに見せたい成果が、どのような発想、指導、練習などを経て、今日の晴れの舞台を迎えることができているのか、を見せるのだ。
一連の競技会、試合は、いずれも日頃の積み重ねの成果を発表する場として位置づけられている。試合の場で、コーチや監督がどのように生徒を指導しているのか、これを受けて生徒がどんな反応をしているのか、を見せるようなことはない。それらの結果として、試合当日があるのだから。
だから、ある指導方法が有効ではないかと言いたいのであれば、その具体を経緯を含めて映像やポスターなどにまとめ、これと並行して生徒たちによる発表の時間を設けるという組み合わせがよいだろう。教員によるスピーチなんかもあればいいな。
内容にもよるだろうが、おそらく一回の授業だけで結果や効果の確かめられることは少なく、見学者も授業を観ながら、これまでの経緯を冊子から読み、また想像するのだろうから、発表当日をふだんの授業のような格好で行う意味がどれほどあるのだろうか。大いに疑問だ。
かくして、座学系は言うに及ばす、実技系の教科についても、いつもの授業かのようなスタイルで公開する意味は乏しく、むしろ「やらせ」になる点で弊害が大きい。「これまでこのスタイルでやってきたから」と、前例踏襲ではなく、新しい方向へと革新していくこと、「21世紀を生きる子どもたち」とか「グローバル社会における日本」といった大仰な言い方を好むのならば、教員自身がいかに旧態依然から脱しているかを見せることから始まるというべきだろう。
それとも、こんな小さな勇気すら、多くの教員は持っていないということなのだろうか。