中学校の教員と話す。早く帰ってくださいと学校管理職が口酸っぱく言っているのに、なぜそれが教員にとっては難しいのだろうか、というのがきっかけだ。
民間会社にも勤めたことがある彼は、このテーマの開口一番、「教職って、分業ができない仕事ですからね」と私にとっては端的に、そして我が意を得たりという発言をした。まさしくそうだと思う。
分業が難しいから、ある固まりの仕事を誰かが担うことになる。業務を細かく分けて、構成員になるべく均等になるように配分することが、なかなかできないからだ。仕事の固まりが大きいと、担った人の負荷は大きくなり、担わない人との差が顕著となる。また、分業できないとは担当者の裁量が大きくなることも意味するから、人によっては他の人から見て「そこまでしなくても」ということも生じる。自分なりの納得や得心がより大きな位置を占めるようになるのだ。かくして、学校では、「優しく」「丁寧な」あるいは「要領の悪い」教員の場合、いっそう業務量が拡大し、多忙や長時間労働が慢性化する、と説明できるのではないだろうか。
くだんの教員はこうも話した。「高度にプライバシーが含まれる内容なので、なかなかアウトソーシングができないです」。これももっともだ。児童・生徒の人格に関わる仕事、つまり、家庭の事情、本人の性格や行動あれこれを知ってこそ、関われる仕事でもあるから、「この部分は頼むわ」と、なかなかならないのだろう。
適正な労働時間の実現は、学校教員についても久しく言われている喫緊の課題である。だからこそ、教育という労働はどのように行われているのか、これにふさわしい業務のあり方、さらにはその評価のあり方はどのようか、について丁寧に観察、考察する必要があると思わされる。