学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

レンガを運ぶ

NHK地球ドラマチック、レンガを運び続けて-バングラディシュの子どもたち-(201411放送)は、圧巻だった。

レンガを頭の上に載せて運ぶ子どもたち。裸足の子も多く、レンガの破片からこぼれる砂が耳に目にかかる。10歳くらいの子どもが1回あたり8~10個ほどのレンガを抱えて往復し、一日に1000個も運んで得られる賃金は100円ほど。とくに驚かされたのは、身体ができあがっていない時期にこんなに重いものを運ぶことで、なんと顔にシワが刻まれるということだ。

「貧乏人の子だくさん」そのままの家庭状況なので、親が子どもを学校にやることができない。自転車タクシーの父親だけで家族を養うことはできず、子どもは貴重な稼ぎ人だからだ。中には弟を学校にやるために兄たちが働いている場合もある。教師にぶたれたから学校に行きたくないと、ぐずる弟を学校まで送った兄たちは家に戻り、作業着に着替えてから工場に向かう。学校に作業着では行きたくないから。レンガを運ぶ子どもたちの横を、同じ年の頃の子どもが学校に通う。彼らが言葉を交わすことはない。

親の教育に対する理解が乏しいので、少年期に学校に通えず、読み書きもおぼつかない結果、大人になっても低賃金の仕事しか見つからない。貧しさが再生産される。

かたやこんな世界、もうかたや、『学校に行かなければ死なずにすんだ子ども』(石坂啓、幻冬舎、2005)というタイトルの本すら出版されるような現代の日本(バングラディシュの事例は、まさに「学校に行ったならば死なずにすんだ子ども」である)、こんな二つの世界のいずれにも、学校は存在している。

学校内外で、ある程度までの読み書きそろばん(3R's)を習得し、SNSほかICTを使える多くの日本の子どもたちは、幸福なのかそうではないのか。「豊かな」国だからこその悩みもあり、またそれゆえに「貧困」(相対的貧困)の問題もあるけれど、「よりまし」という話になるのか。それとも、別世界だから比較することそのものに意味がないのか。わからない、けれど、とても悲しいドキュメントだ。学生にもぜひ紹介したいと思う。
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by walk41 | 2014-12-01 10:49 | 学校教育のあれこれ | Comments(6)
Commented by 通りすがり(10年以上引きこもりの27歳 at 2014-12-02 20:50 x
こんばんは。今しがた母親が録画していた地球ドラマチックを観ていましたが、先ほど終わりましたので検索して此処にたどり着いた次第であります。【「貧乏人の子だくさん」そのままの家庭状況】自分もその辺は見ていて気になりましたが考えてみますと子供達は貧乏であっても自分から見るに悲惨であっても「満面の笑顔」を振り撒いていました。その笑顔は=希望=光とも言えます。このどうしようもない世界で生き抜くために(ある意味でエゴですが・・・・)子供を作るのかもしれません。それがなくては生きてはいけないと、そのように思えました。ところでバングラデシュの国土の90%は人口10%の国民が占有しているらしいですが、これが「救いようのない世界」を形成している原因かもしれません。僅かに接しているだけですが、隣国であるミャンマーは偶に特集されるので良く知っていますが、農村や町はベトナムやカンボジア等の長閑な風景を醸し出しています(尤もそこに問題がないわけではないです)。それらの国々とバングラデシュを比較しますとバングラデシュは貧しいにも程がありますね・・・・。

「別世界だから比較することそのものに意味がないのか」意味はないように思えますし、意味はあるようにも思えます。全く同じ土俵に上げるのは自分の抱える諸問題が粗略に扱われるようで嫌ではあるけども、同じ土俵に乗せて考えないのは「同じ人間」として嫌ではあります。半々と言ったところでしょうか。自分は頭がよくありません。数学の数式も何時間かかっても理解できません。普段はお調子者です。何も考えてない、または考えられない足りない脳を持っていますが、今回の特集には衝撃が走りました。何回かこういう貧困問題を扱ったドキュメンタリーは見ていたのですが心打たれました。あの子供達の笑顔にあの救いようのない現実が残酷でした。
Commented by 通りすがり(10年以 at 2014-12-02 21:15 x
「親の教育に対する理解が乏しいので、少年期に学校に通えず、読み書きもおぼつかない結果、大人になっても低賃金の仕事しか見つからない。貧しさが再生産される。」

自分は先ほど数式が解けないと言いました。頭も良くないと言いました。ですがこのネットに溢れるヘイトばかり吐く人間よりかは出来た人間だと自負しております。ですが問題がないわけではないです。それは問題を解決する能力も意欲もない事です。自分を何より大事にしてるので、常に自分を優先させた生活を送っています。「甘え」と言えばその通りで単なる「甘え」であります。そのように現在まで育ってきました。享楽的ともすれば刹那的とでも言いましょうか。常に自分が満足したいと思う自分がいます。中国では一人っ子政策が採られていたので子供達は「我侭」らしいですね。自分は一人っ子ではないですが、末っ子なのでこうなってしまったかもしれないです。最終学歴は中卒。中学1年の2月ごろに学校に通わなくなり其のまま引きこもったので実質的には小卒に等しいです。活発ではあったのですが引きこもり生活が長引いた結果ストレスが掛かると蕁麻疹が出るようになりました。また物事に忙殺されると鬱のような症状にも襲われます。頭では以前のまま出来るのだと思うのですけど実際には何もできないのでしょう・・・・。悲しいかな・・・・。そう言いつつも頭の片隅では出来ると思う自分がいるのであまり苦に思っていないんですよね。自分は能天気なまま落ちぶれていってしまうのかな。

「貧しさが再生産される」何かを生み出すのは大変ですね。それを生み出す能力がなければゴミと同じ。自分は機会を与えられましたが放棄しました。後悔していないと言えば嘘になりますが後悔だけしていると言えば嘘になります。本当に何も考えないで日々を送っていたのでポジティブに考えるならばこの猶予は良かったことではないか?と思っております。まあその「良かった」にしても現状そうであるだけであって終わりが最悪なら「良くなかった」と思うのかもしれません・・・・・。
Commented by 通りすがり(10年以上引きこもりの27歳 at 2014-12-02 22:03 x
続きと言いますかこの部分の「自分は能天気なまま落ちぶれていってしまうのかな。」追記です。
自分は能天気なまま時にはパニックになり落ちぶれていってしまうのかな・・・・・。

もう全てわかってはいます。自分が酷く陽気で酷く残酷なのだということが。端的に言えば「幼稚」なんです。こういう風に正論(?)を書きつつも腹が立った時は親に八つ当たりしてしまったり、心ないヘイトを見ますと投稿はしないですが「こいつぶっころしてやりてえ・・・・死ねよ死ね死ね」と汚く口走ったりする人間なのです。引きこもった原因ではないですが中学の頃にはイジメもしていました(相手が先生に伝えたのでバレて叱られ泣き謝り・・・本人はどう思っているのかわからないけど一応仲直りしました。実はイジメに発展する以前は普通に遊ぶ仲でした)。また引きこもる前か後かはわからないですが昆虫も殺していました。その割りに酷く感傷的で他者の同情を買うような人間でありました。自己分析ですが正論のようなことを語りまたは屁理屈を述べれば「自分が綺麗な人間なのだ」と思っているのだと思います。自分が他者よりも綺麗だと思う。→他者よりマシと考える。→であるから自分は正当化される。こういう論法なのかな。だけども自分は何もできていないので矛盾しているのですよね。綺麗な割りに感傷的。綺麗な割りに刹那的。綺麗な割りに享楽的。日々の暮らしを振り返りますと綺麗どころか人間の欲望を凝縮したような人間です。まあでも・・・・矛盾していようが矛盾しまいがどれも「自分」には変わりないです。本気の涙を流すその時の自分も・・・獣(モンスター)のように喚き散らすその時の自分も・・・・自分です。後者の場合はあまり「自分」とは認めないほうがいいですけど(汗)。ただ考えて見ますと「自分」と言えど捨て去ってきたものが幾つもあるように思えます。昆虫に関してはそうです。また能天気は変わらないものの其処に思慮が入りこうして物事を考えられるようになりました。ただし子供時代は確かに能天気ではあったものの今と変わらず自分中心でありました。自分で言うのもなんですが話術があったので常に自分の都合のいい方向に転ぶことを考えていたように思います。・・・・・・・否、そういう認識をしっかり持った記憶はないです。そういう心の其処の利己的な欲求がそうさせていました。

独り言のような記事に沿わない投稿をして申し訳ありません。
Commented by 通りすがり(10年以上引きこもりの27歳 at 2014-12-02 23:02 x
「貧困地域の子供達」と括るのはよくないですがインタビューに答える子供は「学校へ行きたい」とよく言います(そういう子を選んでいる?)。自分は物心つういてからそのように思ったことは一度もありません。ですから失敗して恥ずかしい思いをした時は無理に行く必要はないと思っておりました。ただ曲がりなりにも倫理観はあるので親や周りの期待に沿えないのは苦痛でありました。今でも学びたいとは思っていません。何より学歴をひけらかす人間がネットには山ほどいます。それを見ますと自分はよりやる気がなくなります。どうしてかと言いますと「蔑み罵り→卑屈→学業に専念」という順序だと自分が相手から影響を与えられた側ともすれば相手に操作されたように感じがして腸が煮えくり返りそうになるからです。良い影響なら進んですると思いますけど悪い影響なら心に憎悪しか生まれないです。憎悪を持ちより進んで何か得ることはあるのだろうか?きっと時間は掛かるでしょうが何かを得れるのでしょう。糧になると思います。ですが自分は御免です。

卑屈に感じる理由は◎←中心ではないというだけです。人間誰しも◎の中心にいたいのでしょう。外側ではなく内側を求める。子宮を求めているのかもしれません。その子宮を求め子宮を得れない◎から外れた「自分」という存在が卑屈にさせるのです。
Commented by 通りすがり(10年以上引きこもりの27歳 at 2014-12-02 23:02 x
「相手がこう言い放った!」何も相手は自分に◎の中心に来るように言っているわけではないのですよね。それよりか相手は「◎に入ってくるな」とさえ言っているように聞こえる。相手は自分を○○だと規定して相手は自分を○○だと規定することで貧しい優越感を得ているだけ。だから逆に言えばその言説に対して自分が卑屈になり行動しなければ相手が規定する○○に自分を規定しているとも言えるのですよね。

どうなのでしょう。生きている限り自分を磨き続けるのは資本主義社会の命題なのでしょうか。自分は追われることなくゆっくりと過ごして生きたい。それは若しかしたら若しかしなくても学業に励めば叶えられるのかもしれません。ただ自分はそんな物質的なものは要らないです。精神的な意味での「ゆっくり」です。悟りというか見渡してみたいのですけど、まだまだ弱い人間なのでその境地には辿り着けていません。またその境地に達するにはとんでもないほどに修行を積む必要があるのかもしれませんね。・・・・・書いていて思ったのですが単に「楽したい」だけかもしれません。「楽することほど」贅沢なことはないかもしれないです。その分のツケは必ず何処かで現れますが(汗)。
Commented by 通りすがり(10年以上引きこもりの27歳 at 2014-12-02 23:34 x
何回も言いますが何回も投稿してすみませんでした。ゴミはゴミなりに何か人の心に残ってくれれば・・・・・と考えていたのかもしれません。また「わかってほしい」「理解して欲しい」「共感してほしい」という気持ちがあったのかもしれません。ただ綺麗ごとを述べただけでは嘘つきなので出来うる限りの話はさせていただきました。昆虫を殺したこともイジメをしたことも本当の話です。何か曝け出さないと汚いような感じがするのです・・・・。だから自分は相手に執拗に問いただすのかもしれません。自分は見せた・・・だから相手も見せて、と。そうでもしないと「引きこもったほうがマシ」とでも言うかのような感じですね。結局自分はここでも「楽したい」だけなのです。相手がわからないから全てを晒して欲しい、と。覗けるわけないのに叶わないことなのに其れを追い続けている。其れが叶わぬなら「引き篭もる事を選ぶ」と。

悟りの境地にしても引きこもるにしても怒るにしても全て自分のこと。一番近くにいる「両親」という存在は何処かに置いたまま・・・・。親の育て方もあったのでしょうが、自分は酷い人間です。何処の馬の骨とも知らない人間の言葉を優先して全てを乱す・・・・。自分が悪いんですよ。自分が。壊れ汚れがこびり付いた歯車は修正できそうにないです。
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