学会で「高大接続」のシンポジウムに参加する。大学入試の「より良い」あり方について分析、提案が行われたが、まったくしっくりこない。自分が得心できるとはおよそ思えない。大学入試の問題とは基本的に思えないのだ。
1. 大学への進学希望者が入学定員を上回る限り、選抜は不可避である。ドイツで制度化されているAbiturは、確かに絶対評価に基づく資格試験であるけれど、ただAbiturを取ればいいという話ではなく、より良い点数でAbiturを通過しなければならない。この点では、日本の特殊性とも言われる集団準拠にもとづく競争でもある。議論の際に「隣の芝生は青い」は避けられないけれど、日本は特殊と言おうとするために、外国の例を乱暴に扱うのはいただけない。
2.ある学校の修了がその上級学校への進学を前提にしている訳ではないから、学校の修了を上級学校の入試で捉えようとする発想そのものが適切ではない。にもかかわらず、高校教育を大学入試で評価しようとすると、やりたいことがまだ見つかっていないにもかかわらず、大学先を決めなければならない、経済的負担も相まって浪人を忌避する「受かるところ」探しに奔走することになる、合格したら即、入学しなければならず、「五月病」にもつながりかねない。高校修了の問題は、大学入試の問題ではないのだから。大学入試に結びつけるから高校生が「生き急がされる」、まだ何をやりたいかわからないのに入試に臨まなければならないのだ。
なのに、なぜ大学入試の話になるのだろうか。大学進学率が上昇したとは言え、高校から大学に進むのはおよそ5割、残る生徒は大学とは直接に関わらない。彼らの高校修了の問題はどこ行くのだろうか。大学関係者がこのテーマを扱うことのムリ、ということかもしれないなあ。