学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

コピペが起こらないように

大学はいま、卒論や修論、あるいは年度末の修了レポートと慌ただしい。

この折、学生のレポート、さらには驚くことに卒論にすら、コピーとペーストが見られると、いたく嘆く大学教員のつぶやきが紹介されていた。

でも、とても不思議でもある。確かに、コピペは大問題だ。知的財産に微塵の敬意も払わず、泥棒まがいのことを、いや泥棒そのものだろう、他者の文章で単位や学歴を得ようとするのだから。盗人猛々しいである。

しかし、こうしたレポートが出てくるような、怠惰な大学教育も土壌としてあるのではないか。まず授業でのレポートについて、なぜその授業に出ていない人の文章が使えるような課題を出すのだろうか。「ヘルバルトの教育方法上の意義を述べよ」といった課題を教員が示すから、どっかに転がってないかなと学生が探す羽目になる。

そうではなくて、「7回目の授業で見せた資料映像の内容を踏まえて、教員の感情労働の特徴を論じよ」とか「4回目の授業レジュメに紹介されている、前回の感想からの8行目の意見についてコメントせよ」と課題を出せば、授業に参加していないと応えられないし、授業レジュメも必要になる。先週など「その映像見ていないんですけれど」と言いに来た学生に、私はコピーして(DVDは学生に用意させた)渡したくらいだ(えへん!)。他に文章を探すなど必要ない。

ましてや卒論については、何を言わんかやである。最終的に学生が論文提出に至るまで、どれだけ話をし、てにをはに始まる日本語の添削をし、資料の妥当性を確かめと、繰り返すなかで、徐々に出来上がっていくのが、論文指導である。これをしていないから、突如それが現れ、読むとコピペだらけと悲嘆にくれることに陥っているのではないか、とは言い過ぎだろうか。

当の学生以上に論文のテーマ、構成、関係文献を識っており、より真っ当な方向に向けていくのが論文指導なのだから、コピペが入る余地があるはずもない(フェアなコピペ、すなわち、出典を明記した引用は大いに奨められるべきである)。だから、嘆く暇があるならば、しっかり論文の作法を含めて学生を指導しなければ。

なのに、二年前だったか、電車の中で大声で学生が話していた。「ウチのゼミ、論文指導がないから、出したら終わりやねん。」関関同立と言われる大学の一つである。そんなこと、他者に聞こえるような声で喋らんといて。こんな体たらくな大卒者を世に放って良いのだろうか。「腐っても」大学卒の資格が輝くようにできることはあまりに多いだろう。


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by walk41 | 2015-01-19 10:42 | 研究のこと | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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