管理職を含む教員の勉強会に出る。数校からの集まりだ。来年度に向けた校内研究の見直しについて、複数の提案を聴く。
「…の研究を進めていきたい」「…が研究課題です」と言葉が続いたので、尋ねた次第だ。「自然科学でいうと研究とは違う意味だということはわかってますが、学校で遣われる研究とはどんな意味でしょう。研究という言葉は何をすることを指しているのでしょうか」と。
会場で「うーん」という声が漏れる。どこの世界もそうだけれど、使い慣れた、いわば手垢のついた言葉はなかなか顧みられない。何となくわかったような気になるからだ。だけれど、改まって問われるとよくわかっていないことに気づける。学校外からの刺激が必要な所以だろう。
結果、特別支援学校などでは医学との接点もあり、「何か新しいことを発見すること」という意味も持ちやすいのに対して、いわゆる健常な子どもを扱う普通教育学校では、収束ではなく拡散の方向を取りやすい、いろいろな事実の収集、もって教員の引き出しを増やしていくこと、が大きな比重を占めるのかなあという辺りに落ち着いた。
まだまだ考えるべきことはあるけれど、言葉を遣う際にちょっと立ち止まってみること、わかったような物言いをしていないか確かめてみること、そんな態度や指向をいかに養うかも、教員の資質向上のテーマになると、研修の中身を設計すべきではないだろうか。