南の島を少し旅した。島に一つだけという小中学校があった。平屋の校舎、広いグランドがある。聞くと全校児童生徒は50人ほど、複式のクラスもあるとのことで、いわゆる僻地教育のフィールドと言って良いだろう。
ちょうど下校時間とかちあったため、家に帰る子どもたちに道を尋ねて、集落を自転車で回った。親切にまっすぐ行って右に曲がってと教えてくれる。中心部とは言っても、数筋も過ぎれば集落がなくなるというほどの小ささだった。
この学校の卒業生で進学する生徒は、間違いなく島外に出ることになる。この島に高校はないからだ。掲示板には、生徒が記した今月の予定が張り出されていたが、その一つに「学力検差」と書かれているのを見ながら、彼らが学力をつけることは、この島にとってどんな意味があるのだろうかと考えさせられる。
東井義雄『村を育てる学力』(1957)は後々に至る論争的なテーマだが、これをもじれば「島を育てる学力」はどのようなものか、また学校はそれを担いうるのか、今も問われていると実感した。島の人は大方が作業着かポロシャツなのに、ネクタイ姿で姿を現した学校教員を見て、いっそうそう思わされたのだ。