学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

学校評価を校内研究のテーマに

小・中学校の教頭と教務主任を中心にした研究会に招かれ、1時間半ほど話をさせてもらった。

その後半、学校教育における主観的性格の強さとそれゆえの「マイルール」や「マイウエイ」の跋扈が見られることを話した時、取り上げる予定ではなかったのだが、「今されている学校評価は、皆さんを元気にしていますか」と問いかけてみたのだ。案の定、いずれの方の表情も決して明るくなく、仕方なしにやっているという感が私にはありありと思われた。やっぱりね、やりたくないのにやらされている、だからますます消耗する。本当に気の毒な話である。

この問いかけの意図は、次のようなことに気づいてほしかったからだ。すなわち、現行のおそらくほとんどすべての学校評価が、学校教育の客観性を前提に発想されている、つまり、尋ねればそれなりの「正しい」事実が示されるはずという想定のもとに置かれているために、そうではない事実とズレを生んでしまう。この結果、多分に主観的に構成されている学校に関わる評価であるにもかかわらず、これら主観的な見方が立場や性差あるいは年齢などによって、いかに散らばっているか、または集合しているかが問題にされず、平均値主義にもとづいて、「おおよそこんな感じ」と必ずしも中央値でも最頻値でもない相殺された「事実」が、あたかも本当かのように現れることになる。

こうした結果を目の当たりにしても、改善への意欲がわかないだけでなく、そもそも何をいかに改善してよいか知ることすらままならない。これ以外、①誰にどんなことを尋ねるのが合理的か、②何を改善するためにどんなことを尋ねればよいか、③尋ねる時期や方法はどうあれば妥当か、といった点も議論できるだろう。

ならば、こうした謎だらけの学校評価のあり方について、「どのような学校評価ならば(いずれにしてもやらなければならないのだから)、改善につながるのか、また教職員の意欲が高まるのか」をテーマに校内研究を進めてはどうだろうか。授業についての研究でも構わないけれど、それだけでなくてもいいのではないだろうかと、皆さんに発した次第だ。

私の見るところ、少なくない学校は「何かおかしいと思うけれど、どうしたらいいのか、よくわからない。それを考える時間もなかなか見つけられない」状況にあるように思う。もしそうだとすれば、せっかく校内研究という、ほぼ唯一の学校経営の領域が各学校にはあるのだから、これを有効に活用すればいいのでは? どうして「これまで、こんな風にやってきたから」とか「新しくやって、前の人から批判されるのが嫌だから」と守勢に回ってしまうのだろうか。これも学校の謎の一つだけれど。うーん。
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by walk41 | 2015-03-02 00:38 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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