「選挙離れ、若者だけか シルバー層も投票率低下」(日経、20150321)を読み、数日前のNHK「おはよう日本」で取り上げられたニュースを思い出した。
それは、自宅から投票所までの距離が長くなるほどに、投票率が低下することを明らかにした研究だ。人口が減少、既存の投票所が閉鎖、他と統合される傾向が強まっているという。このことが、とくに高齢者の投票行動を抑制しているのではないか、を裏付けるものと紹介されていた。おもしろい。
言われてみれば確かにそうだなあ、と感じられることを、実証的に明らかにすること、これは研究の大切な役割である。それを通じて、気づかずに行ってしまっていること(「人口が減ったから投票所を減らすことはやむを得ない」という)を反省し、それでよかったのか、他の選択肢はないのかと、「よりよい」社会のあり方を考えるためのデータを提供すること。これは研究というものの大切な意義だ。華やかさには少し欠けるけれど、手堅い研究である。
以前の拙ブログで紹介した。学校統廃合が進められ、バス通学の子どもが増えると、彼らの体力低下が著しいという経験則が存在すると。また、そのために、学校から1キロメートルの所で子どもをバスから降ろし、学校まで歩かせるようにした校長の話を。同様のことは、原発事故などで避難、仮設住宅で暮らす子どもが多い福島県において、体力の低下が顕著という事実とも符合する。
言われてみればそうなのだけれど、なかなか気づかないこと、そうした着眼のできること、ある方法で事実や事実認識を掘り起こすこと、これらのできることが研究者の資質と私は考える。だから、「どこかで聞いたような話」や、ましてや「言われなくてもわかる話」などで、ひとの貴重な時間を奪う人物を研究者と呼んではいけない。彼らは、ただの常識人である。