3月の最終週、春もいよいよ全面展開という感じだ。
暦ではまだ3月なのに、ニュースから聞こえるのは「新年度のスタート」という言い方。あれ、暦よりも週が優位して語られるようになったのかしら。早め早めの世の動きに呼応しているのかもしれないね。
ときに、週というきまりごとは、ローマ時代やユダヤ教、キリスト教によるとも言われるが、7日ごとに区切る意味は、自然界の動きとなんら関係しない。日が昇り降りるをおよそ365回繰り返すと、同じ季節が再びやってくるとは言えるけれど、それがなぜ12の月や52の週に分けられるのか、必然的な理由はない、にもかかわらず、世界で多くの人々がこの区分に従って生活をしている。とても不思議なことである。
なぜかよくわからないけれど、そうなっている、という例は他にもたくさんあるだろう。そうでなくても構わないのに、それが当たり前に見えるということ、もっと探してみませんか。ちょうど昨日、Man darf nicht verlernen, die Welt mit den Augen eines Kindes zu sehen. 子どもの眼で世界を見ることを忘れてはならない、という一文を見て、改めて大事なことだなあと、独りごちたので。