普段とちょっと違う地に身を置くと気づくことがある。その一つが、匂いの違いだ。
どんな匂いのもとで自分は過ごしているのか、をふだん意識することはほとんどないように思う。だから、違う所に行くと、匂いの違いを改めて知らされるのだろう。
自分にとって心地よい匂いならばまだしも、そうでない場合はけっこう辛いものだ。生ゴミの腐ったような、いやある種の肉の匂いか、わからない。けれど確かに匂うし、そちらに感覚上の資源を投じてしまって、他の感覚があまり働かなくなる。
数年前のこと、ある指導主事が、生徒は匂いで教員を嗅ぎ分ける、と話してくれたことがあった。今の匂い話とは必ずしも重ならないものの、見えないけれど確かにわかる、という点では通底するのではないだろうか。
学部生に教職入門という感じの授業をしながら、くりかえし思う。見えないけれどわかる、あるいは教えられていないけれどわかる、という人間の学習する能力の高いことを。その不思議さを少しでも解明したく思うと同時に、にもかかわらず、ちょっと油断すると、教えるから、教えることをきっかけに学ぶ、ということを忘れがちになるということを。