児童生徒理解とか、生徒をよく観察するとは言われるが、この反対、教員は生徒にどのように見られているか、ひいては教員の考える望ましい見られ方に近づくためにはどう見せたらいいか、という議論は管見の限りあまりないように思う。
なぜって、教員は大抵ひとりかせいぜい二人なのに対して、児童生徒は少なくとも数人、多ければ40人もいるのだから、生徒の見る目の方が多いことは明らかで、しかもその見られ方によって授業の進み方や教室の雰囲気が大きく左右されるからだ。ここに注目しないことはあり得ない。
にもかかわらず、教員は生徒にどのように見られているか、それを教員はいかに掴まえることができるか、さらには、「より良い」教員と生徒関係上、教員はどのように見られることが望ましいか、またそうなれるための方略とは、と言った方向で話が進んでいないのではないだろうか・
そんなことを講義で話したら、学生がこんなエピソードを紹介してくれた。
…中学校の頃、クラスの男の子が授業中に教室を出て帰ろうとした。その時に先生が止めようとしたが、「お前、何様なん。親でもないし俺に関係ないんやから、ほっといてくれ」と男の子は出て行ってしまった。先生はそのまま固まってしまっていたのを覚えている。あの時、先生は「生徒にとって教員とは何者なのか」と考えていたのかもしれない。…
重ね重ね、教職って不安定だなあって思わされる。こんなにも相手に委ねられざるを得ない仕事ってあるだろうか。しかも相手のニーズを読み切れない状況のもとで。