学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

人間は確率の論議に馴染まない

ネット配信されるニュースに、「子供の学力、生涯収入が必ず伸びる! 子育て世代がぜひとも知るべき 「教育経済学」を紹介しよう」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44004#gunosy とあった。

中室牧子『「学力」の経済学』という本について、教育が何をもたらしているのか、エビデンス(証拠)を示す同書を高く評価し、「それでは、「経済(学)」と付かない「教育学」とは一体何を内容とする学問なのだろうか。エビデンスに基づかない雑多な精神論の集まりでないことをただ祈るばかりだ」と辛口で締めている(山崎元「ニュースの深層」)。

こうした論調には、いつもながら違和感をぬぐえない。その理由を二つほど挙げよう。
その一、国家レベルの教育政策を立てるのが目的ならばともかくも、それぞれの家庭や学校にとっては、丁寧な幼児教育を受けた場合とそうでない場合について、その後の追跡から、前者は6歳時のIQ、19歳時の高卒率、27歳時の持ち家率、40歳時の所得がいずれも有意に高く、47歳時点までの逮捕率は低かった、と紹介されても、目の前にいる子ども(とその保護者や教職員)にとっては、ほとんど意味を持たない。個々にとってはそうなるかならないかの二者択一の話であって、そうなる可能性が高いと言われても困る。そもそも、丁寧な教育を受けられる状況にあるのかどうかを問えない点でも、この種の議論は心細い。

その二、教育という出来事は、時代や地域的な背景により多様に価値づけられる。教育は世の中のさまざまな条件の一つとしてあり、社会的に「教育が一番」とは限らない。小・中学校の教師の能力下位5%を「平均並み」の教師に変えると、生徒の生涯収入の価値が2500万円くらい異なると紹介されても、そこまで高給で教員を募ることが社会的に認められるのか。そもそも、生涯収入の多いことが「幸せ」とも断言できない。稼ぐことに懸命になったがゆえに、「縁の下の力持ち」の仕事に就く人が尊ばれないことは望ましいのか、も分からない。今の時代の価値観が、将来的にも同じであるとは、これまでの経験を踏まえればとても言えることではない。

つまるところ、学校教育もその一つだが、いつでも、どこでも当てはまるような証拠として、教育は馴染まない。教育がどうだったかは、相当に個人的に受け止められ、その中に「能力」に繋がるかもしれないという、曖昧でアテのないものでもある。その見えにくさに人はロマンを感じ、将来を楽しみにするのだろう。昨今は「見える化」「計測化」とも言われるが、人間に対する操作が可能という素朴でそして恐ろしい発想を問い直すべきではないだろうか。
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by walk41 | 2015-07-03 00:05 | 研究のこと | Comments(1)
Commented by お京阪 at 2015-07-04 21:17 x
内容が濃くて何度も読み返し…

きっと半分も理解できていない。

思うのは、教師と保育士の給料格差だけ。

0歳の担任の私は泣いて伝える子どもに、共感と遊びからの身体の発達を考え、親のフォローもする。

義務教育と名をとる。

私の世代の生徒は、家族と同じ扱をしてくれた。

決して、今の教師に苦言を呈してはいない。

ただ、流石!保育後進国やなぁ~
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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