学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

「チーム学校」を考える(1) 学校はどんな専門機関なのか

中教審で審議され、2015年7月に中間報告の出た「チーム学校」という言葉、これから何回か、この言葉が「ありうる学校」とどれほど整合的なのか、つまり、「チーム学校」は、教育ー学習や学校という場にはたして適うのか、を考えてみたい。

まず取り上げたいのは、学校はどんな専門機関かということだ。「チーム学校」は、いろいろな難しい課題が学校に持ち込まれ、教員は本来の教育に専念できていないとし、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーなどを想定して、専門スタッフとの協力を述べるが、きっとこんな話ではないんだと思う。

学校が専門的でありうるのは、主に教科を柱とした知識、技能の獲得とそれらを通じた理解とその変容を促すことができる点であって、およそ全生活に及ぶことはできないし、及ぶべきでもない。

生徒が病気になったからと医師や医療スタッフと学校がどう協力できると言うのだろう。保護者がリストラにあったからといって、ハローワークとどう連絡を取れと言うのか。そんなことは非現実的である。キャリア教育も叫ばれているが、学費の問題はどう学校が協力できるのだ。せいぜい奨学金の案内までであって、銀行と掛け合ってくれるものではない。もちろん、そうすべきでもない。

ちょっとイメージすれば、児童生徒の教育や指導といっても自ずから限界が明らかなのに、「なんとなく」みんなで協力しあってというと、そうだよなと思ってしまう。まさにマジックワード、何とでも解釈できる無責任な言葉である。

学校が専門的であるというのは、公教育の最前線として、いろいろな生徒がいるけれども、それなりに教育内容を提供し、なるべくその方向で彼らが変わること(学校ではこれを指して「力がついた」と自動翻訳する)を期待するまでである。品質保証などできないが、だいたい、おおよそそんな感じ、で学力や能力の獲得、少なくともそのための機会を提供することにおいて、適した場ではある。

だから、ここをチームでというのならば、一人の生徒に対する授業や生徒指導などを複数のスタッフで担当してこそ、である。複数のスタッフで一人の生徒を教育的に見る、これが実際的かどうかが、まず吟味されるべきである。



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by walk41 | 2015-07-27 18:24 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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