ゼミで報告、議論をする。
その中で気づかされた。なあんだ、「チーム医療」というのに倣って言うのなら、「チーム教育」であって、「チーム学校」ではないよ、って。
繰り返そう。「チーム病院」の話を医療について話している訳ではないよね。医師や看護師、薬剤師や麻酔医や検査技師など、医療の中心にいる人以外に、事務、警備、清掃、食事などを担当する人が病院を支えている。当たり前のことだ。問題は、一人の患者を複数のスタッフで見ること、これを指して「チーム医療」と言っているのだ。
ところが、いま中教審で議論されているという「チーム学校」は、児童生徒に直接に接する教員以外の、事務、主幹教諭などの増員と、直接には接するものの必ずしも全ての生徒が関わるわけではないスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーなどの話が混在している。
前者は「チーム病院」に類する話をだから、どれほど拡充するかはともかくチーム論としては議論の必要がない。問題は後者で、彼らがどれほど教員とともに、一人の生徒に関わりうるか、つまり、一人の生徒を複数のスタッフで見ることの意義や可能性がどれほどあるかが問われるのだ。
「チーム教育」の問題を議論すべきなのに、「チーム学校」とワールドカップを思わせるような言葉遣いで、話を混乱させてしまっている。こんな低い水準の審議でこれからの日本の教育政策が一つ決まろうとしている。大いに嘆くべきことではないだろうか。