学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

背筋棒

学校体験というのは不思議だ。たとえば、戦争の体験といえば、第二次大戦なのか、朝鮮戦争なのか、はたまた湾岸戦争なのか、時代や地域によってその内容が違うことだろう。最近では無人飛行機で攻撃するということもできるそうだし、戦争と言っても相当にイメージの幅があるように思う。

これに対して、学校での体験は、一方で時代や地域によって異なる場合もあるけれど、他方で、時代や地域にかかわりなく共通するものでもある。今回もそんな思いのするエピソードに接した。

もう大学を終えた女性だが、その人が小学校の4年生だったか、背筋棒というプラスチック製の板のようなものを、座っている格好で子どものシャツの首元から背中に入れられ、もって背筋が伸びたのを確かめて、良しとしていた学級担任のクラスに在籍していたという。背筋が伸びるのは、勉強上望ましいという教員の眼差しならではの行為である。

ここには少なくとも二つの問題がある。その一つは、背筋が伸びると学習上、効果的だという証拠なしに、いわば教員の好みとして、児童の身体に直接に触れるような道具をどこから持ってきたのか、扱っていたのかということである。こうした行為がはたして個業的な業務遂行として許されることなのか、という問題だ。

もう一つは、この背筋棒なるものがひょっとして学校の備品だったのだろうか、それとも教員が個人的に調達したものかにもかかわるが、学校教育方針といかに合致するものだったのか、具体的には学校管理職はこのことを承知していたのか否か、もし知っていて放っておいたのならば、学校管理職のリーダーシップとはどんなものだろうか、という問題である。

一教員のあるいは複数の教員の独りよがりな「正しい教育」信仰によって、何も知らない、また仮に知っていても抗いようもない年端もいかない子どもが犠牲にされる。こんなおっかない仕事に従事しているという理解なしに、「何となく」ええことやからやったらええやんと、確かな証拠もなしに「子どものために」と当の子どもから頼まれてもいないのに、なぜか自信ありげに行為できることのリスクマネジメントについて考えるべきだ。

足元をすくわれるとも言うが、自分が正しいことをしていると思っている時は注意を要する。自分を疑い、吟味すること、それは威張らない、相手や状況に対して否定的にならないことにも通じると思う。教育や学習について考えるとは、人間について考えることでもあるとは、上のような意味だろう。
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by walk41 | 2015-10-10 22:06 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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